2011年2月6日日曜日

想い出のカサ・デ・カンポのユースホステル

2011.2.4(金)朝

カサ・デ・カンポというのは、マドリッドの中心から少し西に行ったところにある大きな公園で、その一角にユースホステルがあった。

若い日本人の旅行者のたまり場になっていて、常に30人とか40人いた。滞在の長い人が順番に「番長」に指名されていく。この制度を作ったのは1970年のことだそうだ。

MADRIDの観光情報、アフリカ・中近東・北中南米の各種情報がここに集まり、それを有効に役立てようということで、情報のまとめ役・発信役・管理役が仕事であった。

ちょうど40年前1971年の7月と8月、私はマドリッドのユースホステルで6週間すごした。長く滞在した結果、僕も第17代目の「番長」という大役を拝命した。ここらあたりの詳しいことは僕のホームページ、
http://homepage2.nifty.com/hirobon/
の中の「シベリア鉄道で初海外」1972年4月号 に書いている。

今回のスペイン留学にあたり、ぜひとも想い出深いこのユースホステルを訪ねてみたいと思ったわけだ。

ホテルを出て地下鉄に乗った。朝10時過ぎであまり込んでいなかった。若い男性が突然ギターとハーモニカを演奏し、歌を歌いだした。楽器はアンプにつながっていて、音と声がスピーカーから出てくる。結構上手だ。1曲歌い終わってカンパを集めて、次の車両に移っていった。


横に座っている人に聞いた。「こんなのは普通にあるんですか?」 歌・地下鉄の中・普通というスペイン語単語を並べただけですが。「よくあることだよ」との返事。それ以上話は進まない。向こうからは何も言わないし、こちらからも、スペイン語の単語が出てこない。

地下鉄LAGO駅に着いた。40年前の記憶がない。
 
LAGO駅 プラットホーム

LAGO駅 駅舎
                  
駅を降りても、右も左もわからない。30分近くあたりをうろうろして、元に戻ってきた。今度は反対側に行ってみた。案内板を見つけたのでユースホステルを探したら、あったあった。



朝の散歩をする人やジョギングをする人を時折見かけるだけだ。大きな森のような公園の中の静かな道を、僕の記憶とおり、駅から15分ほど歩いたところに、それはあった。



今はMADRID市が管理しているようだ。敷地の中に入っていった。なんと僕が40年前に過ごしたあの建物とほとんど変わっていないところに、あの配置とおりに建物はあった。


掃除をしている女性に声をかけて見た。「昔と同じですね。建物は作り直していないのですか?」「むかしのままの建物です。少しきれいにしたり、中を変更したりしただけです」(と、言ったように聞こえた)

実際、夜空の下でコンパをやった一角が、記憶している位置にそのままあった。

事務所に行って、ちょっと聞いて見よう。

日本人は泊まっていますか?
今日は一人もいません。最近は、あまり日本人は来ないです。
    40年前の記録がありますか?
わかりません。
    写真をとってもいいですか?
雑誌や本で出版するのでなければいいですよ。
    インターネットの個人のサイトで使いたいのです。
それならOKです。

番長室があったと思われる入り口から入って見た。もちろん昔とはまったく様子が異なっていた。昔は入り口から入るとすぐに番長のベッドがあり、でかでかと日の丸が飾られていたが、今はそれもない。


私の見たところは、2段ベッドが二つの4人部屋2部屋が、トイレ・シャワー・洗面室をはさんで並んで配置されていた。4人づつが共同で使うようになっている。清潔な部屋だ。


全てが懐かしく、あたりを1時間近く歩き回って、満足して、そして、もと来た道をLAGO駅に向かった。

19 件のコメント:

  1. いや懐かしい。
    私は翌72年の9月に3日程滞在しました。国中がオリーブの匂いだらけだったような。
    管理人のゴメスとかいうオヤジがおったですな。
    El Lago 駅よりユースへ向かう一本道を、リュックから半分出したナイフをいつでも抜けるように握り締めながら夜遅く歩いたことが今も忘れられません。そしてグアルディアという治安警察があちこちでえらそーな顔でのし歩いていたことと。

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    1. 私も、昔のことが懐かしく思う年代になりました。それで、もう一度行ってみようと思い立ったんです。
      オリーブの匂いとか、オヤジの名前がゴメスだったとか、危険な夜道とか、グアルディアという治安警察とか、良く覚えていらっしゃいますね。
      この中で覚えているのは、オヤジの風貌。細面の、背高の、60位の、ちょっととっつきにくい感じのおっさん。何となく顔まで頭に浮かびます。でも40年以上前の事、誰かほかの人の印象が彼と置き換わっているのかもしれません。そんな歳になりました。

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    2. このユースに滞在中の日本青年三名が市内某レストランでフランコの悪口を言いながら食事していると突然グアルディアに引っ張られた!とかいう伝聞を、戻って来るなり勢い込んで広める方もいらっしゃいましたな。
      その話は無論デマです。

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    3. フランコ将軍末期の事ですね。
      私など、歴史や時の情勢に疎く、ノー天気でした。
      何か起こっていたら、今なら「自己責任」とバッシングされるだけの旅行をやっていましたね。

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  2. hirobon様
    はじめまして!
    記事と近代風景写真を懐かしく拝見させていただきました。

    小生は、1972年2~3月にマドリー第23代番長を務めたKiyoです。

    500円/日の予算で、何処までも行くぞ!と、片道切符で出国しました。
    当時は、ソ連経由ヘルシンキからヒッチハイクでバックパッカー生活。
    ロンドンの新聞広告の家電修理会社にカラーテレビ技術で高給就業し、
    マドリーに到着しました。

    往時は、街中でのひそひそ話で聞こえてくるChinosとの囁きに、
    !No, Chinos!
    Soy de Japon. と言い返して、相手が興味を抱くと、
    SonyやSanyo(サンジョ)やらKareteなど、通じる日本語を駆使して、
    北欧風ヒッピー姿で街を闊歩していました。
    そして、滞在中に西語を独学しました。

    町中あちこちに立哨していたフランコ総統の親衛隊をグアルディアと言うんですね。

    管理人ゴメスは、老眼鏡をかけた目つきするどい痩せ男でした。
    腹心の部下・片目のジャックのHombleは、ダミ声で平らな顔立ちの太っちょでしたね。
    蚤の市の出発点にある大衆食堂「Casa De Campo・森の家」のちょび髭の親父さんとそのchiko(息子)の顔立ちや、
    夜食堂として通った隣町の「奇蹟的レストラン」では
    ?Cuanto Valen?と尋ねた兄弟給仕の顔が今も想い浮かびます。
    時に、
    http://ryokodo.cocolog-nifty.com/ryoshikantetsu/2010/08/post-3b32.html
    の記事で、初代番長の情況がわかります。

    そして、早速に「マドリー番長会」の存在を知りましたが、
    あいにくPC操作に疎く、ブログ間の通信事情なのか・・
    当該記事の既投稿者の所在や、その後の追跡ができません。
    http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_2.html

    そうこうして回りまわって、貴方様のブログに到達しました。

    皆さんと一緒になって、異時体験談義をしたいと思う所存です。

    唐突で、誠に僭越ながら・・
    【マドリード番長会の連絡先】や、その後の詳報について、
    もし消息をご存知であれば、
    下記URLまでご案内ご連絡賜れば幸甚の限りです。
    http://blogs.yahoo.co.jp/donquiyo/MYBLOG/guest.html
    AbcEfdG(恵比寿絵筆爺)ことDonquiyo拝。

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    1. 懐かしい話を沢山ありがとうございます。
      マドリード番長会と言うのがあるというのは知っていましたが、一度も出た事もなく、お声もかかった事もなく、つながりは全くありません。
      私の後の第18代番長(だったと思うのですが)とはいまも連絡が付きますので一度話をしてみます。
      何かわかりましたらご連絡いたします。

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    2. 早速に、ご応答を賜り感謝感激です。

      同じ穴?の狢の気持で、朗報をお待ち申し上げます。
      今後共々、4649!
      Donquiyo拝。

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    3. その後、私の後に番長をやった人と話をしましたが、私以外の番長とは現在付き合いがなく、全く新しい情報はないとの事でした。
      番長会か何かの会のお知らせを頂いたら、都合がつき次第喜んで参加はさせていただきたい、という事でした。私も同様です。

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  3. hirobonさん、突然のコメント(投稿)大変失礼します。
    マドリードのユースホステルの写真で、hirobonさんが撮影したものなどありましたら、Wikipediaに御寄稿お願いできないものでしょうか?
    タイトルはマドリード・ユースホステル・・・・・なんですけども。

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    1. いま、過去の写真を整理している所で、昔の写真や2011年のユースの写真などを探し出すことは可能です。
      Wikipediaに寄稿する、と言う件です。私が撮った写真を寄稿するのは問題はないと思うのですが、私にとってWikipediaは読ませていただくだけでしたので、自分からWikipediaに情報を発信するというのはちょっとハードルが高そうで・・・・

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  4. hirobonさん、おはようございます。
    わたしはhirobonさんの1年ほど後に指名されて番長をやった者です。マドリードのユースホステルは1か月ほど過ごしたところであり、ブログを読んで、また、写真を掲載していただいたので、懐かしさで一杯になりました。尤も、読んだのは数年前です。わたしもついにハッピーリタイヤメントになりましたので、何かありましたらよろしくお願いします。今はWikipediaで、今後の行動の指針となるものを見つけようと200件ほどですか、信憑性の薄い記事ですが書いています。

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  5. いやいやみなさんの書いている事が懐かしい!あすからスペイン行くので昔のマドリユースを検索してたらこのサイトに来ました。私は1972年8月にモロッコからほうほうの体でここに帰って来ました。毎晩 交代で空の瓶をもってセルベッサを買い出しに行って、夜たき火を囲んでいた事と南京虫が壁から毎晩でてくるので、木の下にマットレスを敷いて外で寝ていたのを思いだします。

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    1. 若いころにやったことが懐かしく思える、というのは幸せなことです。その時にできなかったことや、その後やりたいな、と思えることが出てきてそれを出来るのはさらに幸せですね。
      明日からスペインに来られる、というのは観光旅行なんでしょうか・・・

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    2. 今から関空へ向かいます。結婚40周年の記念として珍しくツアーに参加しての忙しい観光です。なので書いてあるユースに行って見たいのですが今回は無理です。来年予定のヨーロッパ自転車旅の時寄ってみようかと思います。

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    3. ご結婚40周年の記念旅行ですか。よい記念になりそうですね。私も来年40周年になります。
      それにしても、ヨーロッパ自転車旅行とはすごいですね。どこかにその様子をお書きになる予定でしたらお知らせください。

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    4. スペインから帰って来ました。分刻みのパックツアーで忙しい事!ヨーロッパ自転車旅は来年6月を予定しています。その前に11月から2月まで南米を旅して来ます。主にイースターとパタゴニアがメインとなります。今そちらの準備をしています。
      また私のHPに上げる予定ですのでよろしければ下記のサイトを覗いてみて下さい。
      チリンチリンでジャランジャラン
      http://yasu111277965.blog.fc2.com/

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    5. 旅行で予定いっぱいのご様子。ブログを、時々読ませていただきます。

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  6. 1970年6月頃2週間くらい滞在しました。近くに遊園地があり、ゴーカートがあったので、1度乗った記憶があります。ワイヤーを速度が上がるので、引いていたら、途中で降ろされました。現地の若者は無視なので、東洋人に対する差別かなと思いました。その後アフリカを回り日本に帰国

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    1. コメントありがとうございます。
      最近何かと忙しく、このブログを見ておらずリックさんのコメントに気が付きませんでした。申し訳ありません。
      50年以上の前のことで、ただただ懐かしい思いですが、まだまだ冒険心(?)は健在で、ちかじか9月にスペインに行く予定で計画中です。またぼちぼちブログ再開も、と思っているところです。

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