2013年1月26日土曜日

マチュピチュ会でボタン鍋 (2)

フレンチ・イタリアンレストラン「MENU(ムニュ)」でお腹が一杯になった。箕面に行くにはまだ時間がたっぷりあるので、桜井駅近くの高級住宅街を散歩することにした。

レストラン「MENU」とは駅の反対側にあるが、歩いて15分ほどで遠くはない。なんでも、大正末期くらいに住宅博覧会があって、その時代に建てられた住宅がまだ残っているらしい。近づいていくと、いい雰囲気だ。“大きな石”の石垣で宅地を一段高くした家々が見えてきた。敷地は相当大きくて2、300坪くらいありそうなのもあり、庭樹もよく手入れされていて立派なのがたくさんある。何ヶ所かに説明書きもある。

しばらく町内を見て回って、そろそろここを離れようかという時におまわりさんに出会った。町内をうろうろと見て回っている時に2、3回会ったのでひょっとすると、怪しい男女か、と目を付けられていたのかもしれない。

「箕面まで歩いていけますか?」「どういう風に行けばいいですか?」などと尋ねて、そこから箕面まで結構近いことを確認した。

高級住宅街のはずれに「蝶々記念館」という看板を見つけた。先日衛星TVで「日本のお婆ぁちゃん」と言う蝶々さん主演の映画を見たばかりだったので、映画のシーンを思い出してしまった。
 
 
しばらく歩くと「箕面市立箕面小学校」と書いた立派な木彫りの看板があった。Wikipediaによると1874年10月16日創立の「第三大学区第四中学区第十六区第一小区第五番小学校」だそうだ。
 

校門を入ったすぐ右手に二宮尊徳の像を見つけた。台座には「孝 至誠 勤労」と書いてある。裏には昭和14年春建立とあった。いまどき、この像を見かけるのも珍しいのではないか。警備におじさんに言って、写真を撮らせてもらった。
 
 
また少し歩くと、かわいい建物。「日時計の家」と書いてあって、壁の高いところに日時計がある。陽がさしていれば、普通の時計と同じように日時計で時間がわかる。時刻は午後3時30分を指していた。


2013年1月25日金曜日

マチュピチュ会でボタン鍋 (1)

昨日1月24日、昼前に家を出て阪急宝塚線の支線の桜井駅に着いた。昼食はネットで見つけたフレンチ・イタリアンレストラン MENU(ムニュ)を予定。

昔ながらの道幅の狭い「シャッター商店街」を歩いていくとすぐ見つかった。



民家を改造して、白いペンキを塗った、「手造り」風のレトロ感一杯の内装だ。いや、まさに手造りそのものかもしれない。金をかけてプロに頼んだら、こんな風にはならないだろう。

奥か二階にも席があるのかもしれないが、僕たちが座ったのは、テーブルが4、5個ある20人も入ったら一杯になってしまう小ぢんまりしたスペース。僕たち夫婦以外は女性客ばかり10人ほど。

セットのランチを頼んだ。しっかりした味付けは、濃いめの味が好きな僕にも、「しっかりと味が付いてるな」と思わせる。

出て来る料理はみんな手が込んでいる。見た目も、盛り付けするだけでも相当時間がかかりそう。スープ、オードブル、パスタ料理、メインの肉料理、デザート、コーヒー、と全てがゆっくりと出て来る。急ぐわけではないから、ゆったりするのはいいが、一通りが済むまで、たっぷり1時間半はかかっただろうか。
 





満足して店を出た。ここから二駅先の箕面駅まで、ぶらぶら景色を見ながら歩くことにした。

実は先日、ボタン鍋を食べに行こうかと家で話していたら、マチュピチュ会のメンバーにも声をかけてみよう、という事になった。

ボタン鍋を食べさせてくれる宿、「風の杜」のホームページを見ると平日しか空いていない。仕事を持っている女性二人は都合がつかなかったが、チュニジア旅行から帰ってきたばかりのフリーの女性一人と1週間後にモロッコ旅行に発つ夫婦の3人が参加できることになり、計5人集まることになった。その宿「風の杜」が箕面にある、と言うわけだ。

この続きは、また明日。

2013年1月18日金曜日

100円均一の眼鏡

白内障の手術をして、眼鏡に都合の悪いことが起きた。眼鏡なしで遠くとか中間はよく見えるが、新聞を読むのに困るようになった。

今までの眼鏡では、手術をしなかった右眼は良いのだが、手術をした左眼は焦点が合わなくなってしまった。先生によると「新しい眼鏡を作るのは2、3か月経ってからにした方が良いよ。視力が落ち着くのにそれくらいの時間がかかるから」と言う事だ。

仕事をしている時代には、胸ポケットに入れた眼鏡をうつむいたときに落としたりしてよく傷つけたりしたものだから、勿体ないので使い捨ての100均眼鏡をよく買ったものだ。その習慣で、今も100均眼鏡を愛用している。デザインはともかく、そんなに悪いものではないと思っている。だいぶ前の、出初めの頃のはレンズがすぐ傷ついたりしたものだが、最近のはハードコーティングをしていて丈夫になっている。

今日100均に行って、同じデザインのを2個買ってきた。計200円。その店は税込みで100円均一だ。右眼用に3.5、左眼用に2.5。帰ってすぐに、2個のメガネのレンズを入れ替えて、右眼を3.5に左眼を2.5にしたのを作った。
 
右が完成したメガネ、左が余ったフレームとレンズ。

さっそく新聞や辞書を見てみる。見える、見える、よく見える。


2013年1月17日木曜日

夢のダブルハイb(ベー)

バンドの練習で、ほとんど休符ばかりで吹くところのない曲の合奏練習をした後、ド・レ・ミ・ファ・・・・と低い音から順に高い音を吹いていった。今日はえらく調子が良い。高い音が際限なく出る。どんどん高くなっていき、ダブルハイb(ドイツ式で「ベー」と読むらしい)(トランペットでの音ではダブルハイ「ド」の音)が何の苦労もなく出る。

普通、下の写真の中央の「ド」(ハイ「ド」)が出ればたいていの曲はOKだ。プロのオーケストラの演奏者でも、ここまで楽々と演奏できればほとんど問題ないらしい。ジャズとなると、その上の「ソ」あたりまで出せるらしい。


僕の場合、今までハイ「ド」がやっとこさ時々出る、と言う程度でまだまだだった。ところがだ、今日はジャズトランぺッターどころかまだその上のダブルハイb(上の写真の右端の赤丸の音)が楽々と出せる。どうなってるんだ?

10日前に左眼白内障の手術を受けて、医者から1か月ほどの間はトランペットを吹くのは控えておいた方が良い、と言われていたのに。実は、昨日まで全く吹かず、その分高音を出す口の訓練だけは、日中でも思い出すたびにやっていたのだが。

その成果が出たんだなぁ。と、大いに喜んで ……~……~~むにゃむにゃ~~~  と、体を動かした途端に目が覚めた。
 
『夢ダブルハイb(ベー)』は 『夢ダブルハイb(ベー)』 に終わってしまった。

2013年1月15日火曜日

白内障手術後の8日目

眼医者さんでチェック。

手術した方の眼の視野が少しおかしいと感じ訴えてみたが、簡単なチェックでは「異常はありません。もう少し、様子を見て見ましょう」いう事だった。左端のほうが丸く見えていない感じがする。大した不便はないが、正常な右眼と比べると、少し違う感じだ。

レンズの端が見えているという感じがしてそう言ってみたが、レンズはきちんと真ん中に入っているという事だ。


大げさに言うと、こんな風に見える感じ。

1日3回の点眼薬3種は当分(2-3ヶ月?)続けるよう言われた。

 
眼帯は、もうする必要がないとのこと。先生は不要だというが、当分就寝中だけはしておこうと思う。

2013年1月11日金曜日

テレビ歌番組での歌詞字幕のタイミング

テレビの歌番組で歌手と一緒に声を張り上げて歌を歌ってる皆さん、こんな事を思った事がありませんか?歌詞の字幕が出るタイミングが遅くて、一瞬口ごもってしまう、なんて事。満足に歌わせてくれる番組は少ないと常々思っている。

そこで、関西のテレビ局だけだが、以下の意見を各放送局にしてみることにした。さて、何か反応してくれるんだろうか。
 
最近の歌は、音程やリズムが難しく一緒に歌える歌が少なくなってきました。その点、昔の曲・懐かしい曲・演歌など放送していただいているときには、うれしいことに歌詞が字幕で出て来る事があります。一緒に歌うことも多いのですが、そこでお願いが一つ。

字幕と一緒に歌っていただけるとわかりますが、ほとんどの場合、字幕の出るのが一瞬ですが遅いのです。気分良く一緒に歌えません。

カラオケ屋さんで歌う時などは、こんな事は全くありません。歌詞が2行で出てきたり、歌詞の進んでいるところで色が変わったりして歌いやすくなっています。ここまでしなくとも、せめて字幕を出すタイミングをほんの少し早めて頂き、気持ちよく画面の歌手と一緒に歌えるようにしていただきたいと思います。

善処を期待しております。

  今日 20:50 BS TBS にこの内容でメール送信済み
     (由紀さおり・安田祥子の童謡コンサートツアーの放送を見た後)
  今日 21:02 NHK 総合 にこの内容でメール送信済み
  今日 21:12 毎日放送  にこの内容でメール送信済み
  今日 21:19 朝日放送  にこの内容でメール送信済み
  今日 21:25 関西テレビ にこの内容でメール送信済み
  今日 21:29 読売テレビ にこの内容でメール送信済み
 
   (注)読売TVだけは意見送信フォームに送信者の名前や住所やメルアドを書く欄が
    なかったので返信が100%来ない。
    他局の場合、「返信を約束するものではありません」と書いてあるが、読売だけは
    はなから「返信しません」と宣言している。
 
ある程度各放送局から返信があったところで、このブログでも報告したいと思う。NHKからはおそらく返事があるだろう。過去に何回か別の意見メールを出したところ、すべて丁寧な返事があり、「さすがNHK、受信料を払う値打ちがある!」と納得したものだ。

2013年1月9日水曜日

白内障手術 3/3 (手術後)


手術後の何日かを、時々追加記入していくことにする。

1月7日(月) 手術した日の夕方以降

ちょっとクリクリする違和感があるが、ほとんど気にならない。痛みは全くない。

テレビを見たり、新聞を読んだりはしない方が良い、とのことでパソコンで時間をつぶすことにした。パソコンを読むのではなく、youtubeで何かを聞く、という事だ。普段めったに聞くことがないものを、と思い広沢虎造の浪曲を聞くことにした。「石松三十石船」「石松と身受山鎌太郎」そのほか色々。結構、はまる。時々、知らない言い回しが出てくるが、構わない。2時間も3時間も、こんなことに時間を使うのはめったにない。

聞いている途中、ノートパソコンがフリーズ。僕のパソコンの再起動には顔認証が必要だ。さて、困ったぞ、眼帯をはずさないと顔認識してくれないだろうな、と思いながらパソコンのカメラに向かった。なんと、眼帯をしたままで認識した。こんな事でいいのかなあ? 顔認証がいい加減なのか、眼帯も考慮に入ってるのかな?

当日は、アルコール、入浴、洗髪、洗顔、は禁止。早々に寝た。

1月8日(火) 手術の翌日

朝一番に眼医者さんに行き、チェックしてもらう。眼帯をはずし、昨日の手術の具合をチェックしてもらった。「外見は異常ありません。順調です」と。金属の眼帯の下のガーゼをはずし、金属だけにして帰宅。

この保護具は、何かが眼にあたって眼に圧迫がかからないようにするためで、眼鏡やサングラスでもいいそうだ。

眼帯をはずし街の景色を見て見ると、結構よく見える。

夜になって家のテレビを見ているときに気が付いた。手術をした左眼としなかった右眼で色の見え方が違う。左の方が色が鮮やかでくっきりと美しく見える。右の方は黄味かかり少し濁って見えコントラストに欠け、色あせた古いカラー写真を見ているような感じだ。5、6年前に、25インチくらいのブラウン管テレビから、大画面で美しい発色で繊細な描画のハイビジョン・デジタル薄型テレビに買い替えたが、その時に感じた感激にも似ている。




手術後の左眼で見たイメージ
 
手術をしていない右眼で見たイメージ

1日3回の点眼薬3種、就寝前1回点眼約1種、1日3回の錠剤2種。

この日は、アルコールは避けて、洗髪、洗顔、は禁止。入浴はOK。

1月9日(水) 手術2日目

午前中に眼医者さんに行きチェック。手術をした左眼の視力検査をした。1.0、上々だろう。手術直後はよくても後で悪くなる人もあれば、その反対の人もあるという。

色に見え方が違う件については、ほかの人もそのように言う人がたくさんいるが、日が経つにつれて脳の中で慣れてきて、気にならなくなります、という事だ。

1日3回の点眼薬3種、就寝前1回点眼約1種、1日3回の錠剤2種。

日中は眼帯、または眼鏡・サングラスが必要。就寝中は目に思わぬ圧力がかからないように眼帯が必要。
 
この日は、洗髪のみ禁止。アルコールは解禁。さあ、今晩は、お祝いの一杯だ!

1月10日(木) 手術3日目

今日も午前中に眼医者さんに行った。「順調のようです。明日は休んで、次は土曜日に来てください」と言われた。

眼の中に入れたレンズの端が光の具合によって薄く白く見えることがあり、先生に尋ねると「そう言う事もあります。そのうちに慣れます」とのご託宣。あまり気にならないので様子を見ることにしよう。

眼帯または眼鏡・サングラスはまだ必要なようだ。

1日3回の点眼薬3種、就寝前1回点眼約1種。1日3回の錠剤は朝でなくなったので、これからはない。

今晩からは、風呂で洗髪も洗顔もOK。

1月11日(金) 手術4日目

今日は、眼医者さんに行くのは、お休み

このページの1月10日のところで書いたが、手術した眼の方だけ時々丸い白いリングが見える。強い光が眼に入ってくる時だと思うが、レンズの端が光って見えるようだ。イメージとしては下の写真のようだ。過去に同じ手術をした人に聞くと、その人も同じだという。これは、時間がたっても治らないし、慣れるしかないようだ。


1日3回の点眼薬3種、就寝前1回点眼約1種。
 

2013年1月8日火曜日

白内障手術 2/3 (手術の様子)

2013年1月7日

13:40――昼食抜き。言われた時刻の5分前に眼医者さんに着いた。5分程してから待合室で何やらの薬の点眼。

14:10――この眼医者さんでは、日に二人の手術をするのが普通らしい。一人目の手術が終わって僕が呼ばれた。手術室横の小さな部屋でまずは血圧測定、138/85。看護婦さんから手術前の簡単な説明のあと、薄い不織布の手術着とキャップを身に着けた。

14:20――手術室に入室、歯医者さんにあるような椅子に座った。後ろに倒れるとすぐに、手術する左眼以外を覆う布を顔全体にかぶせて、さらに左身周辺に何やらを貼ったり、眼を閉じないようにする小さな器具か何かを付けたり。

14:25――いよいよ手術開始。「ちょっとチクッとしたり、沁みたりすることがありますが・・・・」などと言いながら、水洗い、消毒、麻酔液点眼。明るいライトで照らされていて、光が眼に入ってくるので、まぶしい。まぶしいですが、我慢してくださいね」と眼医者さん。たしかに非常にまぶしい。そして、しばらくして点眼麻酔が効き始めた頃に、「ちょっとチクッとする」注射麻酔。

14:30――「さらにまぶしくなりますが、麻酔で(と言ったかな?)だんだん慣れてきますよ」と言うが、まぶしさは結構苦痛だ。映画なんかの拷問の場面で、無理やり眼を開けて光を当てるようなのがあったように思うが、わかるような気がする。 

・・・・・ 「キーン・キーン・キーン」濁っている水晶体を砕く超音波の音が2、3分。体が緊張のため硬直する。濁りをきれいに取り出して掃除をするのが1、2分。そしてレンズを挿入。「ハイ、終わりましたよ。お疲れ様」と、先生。まぶしいライトを消して「見えますか?」と先生が手を振る。ぼんやりと見えるだけだが「ハイ」と僕。眼にガーゼを当て金属の眼帯を付けて完了。

手術室横の小さな部屋に戻り、手術着を取り血圧測定。168/115。だいぶ緊張していたせいだ。手術中、いらぬところに力が入り、手術後の数日間肩こりや筋肉痛を訴える患者さんもいるそうだ。

14:40――待合室へ。手術代、42,250円を支払い、タクシーで帰宅。

当日は、アルコール、入浴、洗髪、洗顔、は禁止。

2013年1月7日月曜日

白内障手術 1/3 (手術前)

55歳くらいまでは視力が1.5くらいはあった。

その後徐々に近くが見づらくなり、新聞や辞書の字が見えにくくなって行った。遠近や中近の眼鏡を何点か作った。100均の眼鏡もたくさん買った。

数年前から、老眼に加え、景色が霞がかかったように見え、夜の運転時に赤信号が二つ見えるようになってきた。1年半ほど前に眼医者で見てもらうと、白内障と診断された。両眼とも大したことはないが、左眼の方が若干進んでいて、「見るときに『いやだなぁ』と思うようになって手術で治したいな、と思ったらいつでも来なさい」といわれた。

2年前のスペイン語留学(スペイン・セビリア)の時も、1年前の英語留学(フィリピン・ケソン)の時も、勉強中に辞書を見るのがつらかった。今年もどこかに「遊び半分のスペイン語留学」をしたいと思っている。だが、辞書を見るのがつらいのでは、少々心がめげる。

そこで、ついに白内障の手術を受けることを決心した。それが昨年末。今や白内障の手術は日帰りでも出来て、人気の眼医者は予約で6か月待ちとか3か月待ちとか。

知り合いにいろいろ聞いて評判の良い眼医者に行ったのが昨年の11月26日。「早い方がいいですか? では、12月11日にしましょう」。 どうしてこんなに早い? たまたま予定が空いていた?

ところが、たまたまその日にツアーの日帰り旅行を申し込んでいた。「別の日を」とお願いしたら年始早々の1月7日に決定。それが今日。手術前、今この時間に至るまでの準備は・・・・・

昨年12月に―――糖尿病予備軍の僕。 かかりつけのお医者さんに「白内障の手術をしてもOKですよ」という内容の手紙を書いてもらってください、と言われていたので、内科病院へ。血液検査、心電図、胸のレントゲン写真、手紙をもらって眼医者さんに提出。胸のレントゲン写真は必要なかったような感じ。

1月4日―――処方された細菌の感染による炎症に用いる点眼剤を、一日3回点眼。

1月5日―――同上。

1月6日―――同上。前日の夜はアルコール禁止(が望ましい)という事で、何か月ぶりか忘れるくらいのノンアルコールデイを実施。
 
1月7日(今日)―――昨日までの点眼剤を朝だけ点眼。炎症治療の内服薬を各1錠朝食後に服用。手術2時間前の12時と1時間前の午後1時に瞳孔を開く点眼剤を点眼。いよいよ手術に臨む。

2013年1月1日火曜日

年賀状

仕事を辞め、お付き合いの範囲が狭くなって来るに従い、年賀状の数が少なくなってくる。
 
何年も、大げさに言えば何十年も、年賀状だけのお付き合いしかない人もいるが、それだけでも楽しみな人もたくさんいる。一言二言の添え書きにうれしい思いをする。
 
いつからかは忘れたが、僕は年賀状を元旦に書くことにしている。先ほども何十通かをポストに入れてきた。
 
昼に近くの神社に初詣をし、そこで家族4人の写真を撮りそれを年賀状に入れた。よく子供の写真だけを年賀状に入れて送って下さる方がおられるが、残念ながら写真を見たいのは子供ではなくて送ってくれた本人のものだ。
 
 
だから、今年の僕の年賀状はこんな風だ。