2025年4月5日土曜日

万博のテストランに参加

20254月5日 記

2025年日本国際博覧会、略称「大阪・関西万博」が1週間後の413日(日)に開幕する。大阪がギャンブル・カジノの街に変身するのに大反対なので、「カジノを含むIR」とセットになった「大阪・関西万博」にも反対の立場だったのだが、万博ボランティアの募集をしているのを知り、応募したら当選してしまった。

予想以上の56,000人近くの応募者があった。結果、会場内14,000人、会場外の空港・鉄道ターミナルなどの会場外が16,000人が当選。私は会場外の担当に決定。

万博といえば、55年前・1970年の大阪万博。私がまだ学生だった頃の事。会場内、スイス館のすぐ近くの売店で「店員」のバイト。掛け持ちで別のバイトもし、貯金をし、翌年に1年近くの世界一周バックパック旅行を実現。

万博にはそんな想い出があったので、「カジノIR反対!」は横に置いておいて、今年の万博に参加することにした。

そして今日4月5日(土)、正式開幕に先駆けてボランティアも「テストラン」なる“試運転”に招待された。ボランティアにとっては見学会・勉強会でもある。

地下鉄を降りたら万博会場は目の前。僕の指定された入場時刻は10時。少し早く着いたが入場ゲート前は人でいっぱい。空港の荷物検査と同じような検査を通過して、QRコードの入場券を提示してやっと入場できたのが、ゲート前で並んでから1時間10分後。









入場したら、やはりまずは大屋根リング。まずはエレベーターで上昇。エスカレーターもある。

続きは 20254月6日 記

大屋根リングは一周約2㎞あるらしい。とりあえず何が見えるかと歩いてみることにした。ただ歩くだけなら早足で1㎞15分だから30分で回れるが、円の中の外国パビリオンや外の企業パビリオンや大阪湾の景色を見ていると、1時間では足りない。








遊園地にあるような「汽車ポッポ」が一周全部連なったような乗り物があって、ゆっくりゆっくりグルグルと回るような有料観覧車を作れば良かったのに! 僕に相談してくれていたら進言したのに、、、

このリング状の遊歩道はもちろん木製で心地よいが、途中に休憩のベンチが一つもない。休めるのはごく一部に草を植えている斜面だけ。

夏の暑いときはどうするのだろう。大きな樹はないので「木陰」はない。何か所かあるトイレに行く部分などに屋根があるのでそこで休憩するしかないがたくさんの人が集まってよいほどのスペースはない。

巷間言われているように、チケット購入にハードルがあるのに加え、パビリオン入場の予約をするにもスマホを駆使しないとかなわない。高齢者は案内所に殺到するのかしら?

パビリオンは見た目大半が未完成のよう。入れないところが多く、入れるところは人が集中して予約をしていない僕はどこにも入れず。入ったのは「くらげ、、、」という子供向けのものと開発途上国25か国ほどの共同館の2か所だけ、予約不要の。



何か食べるところやコンビニや屋台はどこも列、列、列。そのうえ高そう。屋台のソフトクリームが1,800円、というのも見た。さすがにコンビニで、値が街中と違うことは無いだろうね!

当日の入場者はたぶん3万人前後と思うが、1日の最大入場者数を23万人などと言ってるの考えると「ホント大丈夫?」と心配してしまう。

滞在5時間余で退場した。万歩計で会場内12,000くらい、たぶん6kmほど歩いてくたくたになった。

今日さっそく万博本部からテストランの感想アンケートの依頼が届いたので、いろいろ書いてあげておいた。


2024年3月18日月曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第3回」

 1971年「海外の旅」11月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第3回 ヒッチで白夜の国へ

ヘルシンキ ~(ヒッチハイク)~ ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し


下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。


写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。


順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - - 
       
横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
 1971年11月号 ヒッチで白夜の国へ (今回)
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
 スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国

2024年3月7日木曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第2回」写真集

 1971年「海外の旅」10月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第2回 汽車に揺られてソ連を通過

ハバロフスク  ~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ


◎◎ 今回は前回2024年3月1日のブログで紹介できなかった写真を公開 ◎◎

1971年3月29日 いよいよシベリア鉄道
ハバロフスク→モスクワ 8,531km 135時間40分
3月29日~4月4日 6泊7日(時差の関係で計算が?)

3月30日 シベリア風景


列車通路

コンパートメント内でカードに興じる乗客



ユタ駅 売店

結構長時間停車するのでブルブラしたり写真を撮ったり

ユタ駅で食料品の買い出し

ジャガイモを買うにも値段の交渉が必要

スチュワーデス

4月2日 駅内カフェテリア
ノボシビルスク駅で 私

ノボシビルスク駅

4月4日 モスクワ市内バス観光
モスクワに2泊予定だったが突然一方的に
キャンセルされ、替わりにレニングラード
2泊になった。お詫びの意味かモスクワ市内
半日バス観光を提供された。


ウクライナホテル

モスクワ大学、車窓見学

プーシキン広場?


レーニン丘からモスクワ市を望む

モスクワ地下鉄構内

クレムリン 赤の広場
          
4月4日 モスクワからレニングラード行き切符の表紙 

上: 座席指定カード
下: 乗車券と寝台車券
  運賃15.20ルーブル(\6,080)
  予約料0.80ルーブル(¥320)
4月5日 レニングラードに到着
(現在はサンクトペテルブルグ)
街角の売店の行列
夜は??劇場でバレエ鑑賞

4月6日 観光バス半日観光
アストリアホテル前でイサーク寺院と子供たち
(宿泊地では必ず1回の観光が付いてくる。
それも、日本語通訳ガイド付きで。)

アストリアホテル(歴史書に出てくる
超一流ホテル。現在も5つ星)に2泊。
貧乏旅行の私だがその頃は安いホテルを、
などと指定できなかった。

4月7日 エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館内
初めて西洋の美術館を見たせいかもしれないが、
その派手さ・豪華さ・大きさにビックリ。
床も壁も天井も柱もすべて美術品。

ネフスキー通り

レーニン像をバックに。
後ろの建物は地下鉄のフィンランド駅。
フィンランド駅とは向こうの言い方で、
フィンランド行きの電車が出る駅の事。

街で知り合った学生が自分の学生寮に招待して
くれた。今思えば、これも外国人の監視活動の
一環だったかも。


寒空の下、裸で日光浴。
泳いでいる人もいた。