1971年「海外の旅」11月号 マスレジャー研究所発行
足の向くまま 第3回 ヒッチで白夜の国へ
ヘルシンキ ~(ヒッチハイク)~ ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。
写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。
ハッピー(に)(な)リタイアメントなんて、オヤジギャグで!!
仕事を辞めて、する事がなくなって・・・・・・・ なんていう人がいるなんて信じられないョ
バンドでトランペット演奏・ハーモニカの習い事・スペインへスペイン語留学・フィリピンへ英語留学・TOEIC受験・おもちゃ病院の先生・プランターで野菜と果樹の栽培・DIY、などなど。
あぁ、忙しい、忙しい!!
http://homepage2.nifty.com/hirobon/ HP「堀内さんちのあれこれ」は、現在公開休止中。
1971年「海外の旅」11月号 マスレジャー研究所発行
足の向くまま 第3回 ヒッチで白夜の国へ
ヘルシンキ ~(ヒッチハイク)~ ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。
写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。
1971年「海外の旅」10月号 マスレジャー研究所発行
足の向くまま 第2回 汽車に揺られてソ連を通過
ハバロフスク ~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ
◎◎ 今回は前回2024年3月1日のブログで紹介できなかった写真を公開 ◎◎
1971年3月29日 いよいよシベリア鉄道 ハバロフスク→モスクワ 8,531km 135時間40分 3月29日~4月4日 6泊7日(時差の関係で計算が?) |
3月30日 シベリア風景 |
列車通路 |
コンパートメント内でカードに興じる乗客 |
ユタ駅 売店 |
結構長時間停車するのでブルブラしたり写真を撮ったり |
ユタ駅で食料品の買い出し |
ジャガイモを買うにも値段の交渉が必要 |
スチュワーデス |
4月2日 駅内カフェテリア |
ノボシビルスク駅で 私 |
ノボシビルスク駅 |
4月4日 モスクワ市内バス観光 モスクワに2泊予定だったが突然一方的に キャンセルされ、替わりにレニングラード 2泊になった。お詫びの意味かモスクワ市内 半日バス観光を提供された。 |
ウクライナホテル |
モスクワ大学、車窓見学 |
プーシキン広場? |
レーニン丘からモスクワ市を望む |
4月4日 モスクワからレニングラード行き切符の表紙 |
上: 座席指定カード 下: 乗車券と寝台車券 運賃15.20ルーブル(\6,080) 予約料0.80ルーブル(¥320) |
4月5日 レニングラードに到着 (現在はサンクトペテルブルグ) 街角の売店の行列 |
夜は??劇場でバレエ鑑賞 |
4月6日 観光バス半日観光 アストリアホテル前でイサーク寺院と子供たち (宿泊地では必ず1回の観光が付いてくる。 それも、日本語通訳ガイド付きで。) |
アストリアホテル(歴史書に出てくる 超一流ホテル。現在も5つ星)に2泊。 貧乏旅行の私だがその頃は安いホテルを、 などと指定できなかった。 |
4月7日 エルミタージュ美術館 |
エルミタージュ美術館内 初めて西洋の美術館を見たせいかもしれないが、 その派手さ・豪華さ・大きさにビックリ。 床も壁も天井も柱もすべて美術品。 |
ネフスキー通り |
レーニン像をバックに。 後ろの建物は地下鉄のフィンランド駅。 フィンランド駅とは向こうの言い方で、 フィンランド行きの電車が出る駅の事。 |
街で知り合った学生が自分の学生寮に招待して くれた。今思えば、これも外国人の監視活動の 一環だったかも。 |
寒空の下、裸で日光浴。 泳いでいる人もいた。 |
1971年「海外の旅」10月号 マスレジャー研究所発行
足の向くまま 第2回 汽車に揺られてソ連を通過
ハバロフスク ~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ
下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。
写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。
足の向くまま 第1回 本のとおりのシベリアルート
横浜 ~(船)~ ナホトカ ~(極東鉄道)~ ハバロフスク
◎◎ 今回は前回2024年2月25日のブログで紹介できなかった写真を公開 ◎◎
私の昔のアルバムの写真はかなり色褪せていたので、元のフィルムから画像を取り出しました。ただ、そのフィルムもかなり色褪せていたので色補正をしましたが、技術不足で満足のいく結果が出ません。
旅行中の使用カメラは35㎜フルサイズではなく、オリンパスPEN-FT というハーフサイズの往年の名機です。モノクロの写真もいくつかありますが、ヤシカATORON ELECTRO という超ミニサイズのカメラで撮ったもので、言わばスパイカメラです。別に、もちろんスパイするつもりで携帯したわけではありません。そんな事で捕まったりでもしたらエライことになります。ソ連の事ですから。
右列の最上段がもっとも一般的な35㎜フィルム その下が一時流行ったオリンパスPEN・FTのハーフサイズ 左列の6列はヤシカATORON ELECTRO その下のやや緑かかって丸まったものはフィルムが劣化して 丸まったり割れたもの。50年も経つと中にはこんな事も その下の紫色のフィルムは??? |
前置きはこれくらいにして、いよいよ写真を見てください。
1971年3月25日 横浜桟橋に着岸したハバロフスク号 |
いよいよ乗り込み |
出国検査 私の荷物はリュックひとつ、当時主流の横長タイプ |
チケットカバーだけ残っていて、 挟まれていたチケットは残っていなかった |
乗船カード 表(右半分)と裏(左半分) |
乗船カード 内部 部屋の番号や朝食・昼食・お茶・ディナー の時刻が書いてある |
船内で乗船チェック |
見送りの人々 |
早々とテープが飛ぶ |
1人で何十本も買って投げる |
現代では見られなくなったテープ投げ 環境汚染防止のため この風景も今はなくなった、懐かしい! |
この写真は地上からだから どなたかから頂いたものだと思う |
2段ベッドの4人部屋 ツーリストクラス |
ワクワク・ドキドキの出発前 |
ハバロフスク号甲板 |
サロンがダンスホールに |
日本人でダンスをする人は見掛けなかった |
レストラン フルコースの食事は船賃に含まれていた |
3月27日 ナホトカ港遠景 |
いよいよ港に着岸 |
ナホトカの両替所 5US$をソ連ルーブルに交換 当時固定レートで 1US$=¥360 1ルーブル=¥400 |
次はナホトカからハバロフスクまでの列車の旅 列車の指定席カード 裏に6号車36番席と書いてある |
鉄道チケット |
1枚目 乗車券 ナホトカ→ハバロフスク→モスクワ 46.70ルーブル(\18,680) 2枚目 寝台特急券 ハバロフスク→モスクワ 31.50ルーブル(\12,600) 予約手数料 2.50ルーブル (\1,000) 3枚目 寝台特急券 ナホトカ→ハバロフスク 6.20ルーブル (\2,480) 予約手数料 0.80ルーブル (\320) |
ナホトカを夜に出発 |
3月28日 ハバロフスクに昼過ぎ到着 |
ハバロフスク駅 駅前 |
ハバロフスク駅をバックに 私 |
ホテルから外を見る |
ツーリストクラス シングルベッド $10.89 (\3,920) 出発前に日本で支払い この頃のソ連人の平均月収は100ルーブル(4万円) と聞いた。ホテル代1泊が月収の10分の1になる。 この頃の日本の大卒初任給は46,400円。 |
バスでハバロフスク半日市内観光 宿泊費には観光バス代が(強制的に)含まれている ここハバロフスクには1泊だけ |
氷結したアムール川のはるか向こうは中国 |
周りは雪と氷というのに水泳とは! |
翌3月29日 朝 ホテルロビーで談笑 この後すぐにシベリア鉄道に |