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2014年3月3日月曜日

サントリー 京都ビール工場 見学

先日、マチュピチュ会の仲間が集まり、5人で京都府長岡京市にあるサントリー京都ビール工場に見学に行ってきた。

阪急京都線に新しく出来た「西山天王山駅」から歩いて10分ほど。

この近くにはキリンのビール工場もあったのだが、こちらの方は3年近く前に操業停止してしまったそうだ。

サントリーの工場の受付で手続きを済ませて、しばらく工場見学ツアーが出発するまでしばし休憩。外には十月桜(冬桜ともいう)が咲いていた。
 
 
 
 

この工場は、十年か二十年ほど前にも見学したことがあるので今回は多分2回目。
 


 

工場見学も楽しいのだが、最大の楽しみはそのあとの「出来立てのビールの試飲」。

 
試飲サロンの入り口で袋入りおつまみをもらって、一杯目の「ザ・プレミアム・モルツ」をいただく。グラスの上部に細かい泡が乗っかっている。口の中に泡を入れるとホイップクリームのように舌に乗っかり、口全体に香りが広がった。
 
 

家で飲むビールの泡は、普通粒が大きく口の中に入れた途端はじけて消えてなくなるが、試飲のビールの泡はまるで「食べる」ような感じで喉に入っていく。おいしい。

試飲は、「ザ・プレミアム・モルツ」と通常の「モルツ」を合計3杯まで。しっかり3杯いただいて工場を後にした。

後日、家でもあの泡を再現しようと試しているが、同じ感じの泡は作れない。

2013年4月16日火曜日

造幣局の通り抜け

お昼をちょっと贅沢にKKRホテルでいただいた。

実は、1階のレストランで1,000円もしない定食を食べるつもりで行ったのだが、修学旅行生で満員で入れず、仕方がないので12階のレストランで1,500円の定食を食べるつもりでエレベーターで上がった。

席について「1,500円の定食を」と言うと、もうないという返事。席に着いたのが昼の2時少し前だったが、定食の時間が過ぎていたのかな?お腹がすいていて、立ち上がりよそへ行く元気もないので一番安い定食を頼んだ。それでも2,500円。思わぬ出費だ。

頼んだ後、落ち着いて外の景色を見ると、なんと絶景!眼下に大阪城と緑の公園が広がり、向こうにはビル群、そしてその向こうには大阪平野を取り巻く山々。時折、空港に着陸するために高度を下げてきた飛行機がビルのすぐ上を、生駒山がある右の方から伊丹のある左の方に横切っていく。


食事と景色を楽しんだ後、天満橋まで歩いた。駅で「マチュピチュ会」の仲間と再会。造幣局に向かった。今日は造幣局通り抜けの初日。大変な混雑と聞いていたが、ぞろぞろと桜見物の人の群れが駅から造幣局へと続く。


造幣局の通り抜けに初めて行ったのは、僕が高校2年生の時、1965年の事だから、あれからもう48年になる。

桜の木の寿命はどれくらいなんだろうか。種類によって、違うのだろうが、5、60年という事もあれば何百年も咲いているという木もあるとか。という事は、以前見た木の内の何本かは世代交代しているんだろうか。
 

 
「立ち止まらないでください」 これはちょっと無理じゃない?
「止まって写真を撮らないでください」 これも相当無理じゃない?
「座り込まないでください」 疲れるんだから、ほんの少しくらい休憩させてよ!
「日傘は危ないので、ささないでください」
「一方通行です。逆行しないでください」 といろいろお願いのアナウンスが少々うるさい。

肝心の桜はどうだったか? 130種類350本もの桜があるのだから、早いのも遅いのもある。完全に葉桜になってしまったのもあるし、満開のもあるし、3分咲のもあるが、全体としては、見頃をちょっと過ぎていたかな?
 
どこかで結婚式を挙げたばかりか、中国語(?)を話すカップル。
 
 
560mの桜並木を30分足らずで通り抜けて、あとはいつものコース。東梅田に移動して、お初天神近くのニューミュンヘンだ。ビールで乾杯、トリカラをがぶっ。ああ、やっぱりビールはうまい。

2013年2月3日日曜日

マチュピチュ会でボタン鍋 (3)

1月24日(木)

ボタン鍋を食べさせてくれる宿「風の杜」に行くには、箕面駅から宿のシャトルバスに乗る。10分ほどで宝持山の山頂にある宿に夕方4時20分ごろに着いた。

玄関を入った所にロビーがあり、そこから大阪平野の展望が広がっている。チェックインして案内された2階の部屋からは、ロビーで見たよりもさらにワイドな景色が目の前に広がる。宝持山の山頂の標高はたったの260mだが、この宿からの景色は素晴らしい。左の方には京都方面、右の方には神戸方面、正面には生駒・大阪・泉南・関空などが見える。


関空に離着陸する飛行機や建設途中のハルカスも見える。

















ひと風呂浴びたあと、いよいよお楽しみのマチュピチュ会御一行様5人のボタン鍋の宴会の始まり。ボタンの花のように盛られた肉が美しい。お腹いっぱい食べて、いっぱい飲んで、いっぱいおしゃべりした。
 
 
 
それでも足りず、缶ビールやおつまみになるものもを自販機とおみやげ売店で仕入れて、もう一度宴会。夜中の1時半まで話は尽きなかった。

2013年1月26日土曜日

マチュピチュ会でボタン鍋 (2)

フレンチ・イタリアンレストラン「MENU(ムニュ)」でお腹が一杯になった。箕面に行くにはまだ時間がたっぷりあるので、桜井駅近くの高級住宅街を散歩することにした。

レストラン「MENU」とは駅の反対側にあるが、歩いて15分ほどで遠くはない。なんでも、大正末期くらいに住宅博覧会があって、その時代に建てられた住宅がまだ残っているらしい。近づいていくと、いい雰囲気だ。“大きな石”の石垣で宅地を一段高くした家々が見えてきた。敷地は相当大きくて2、300坪くらいありそうなのもあり、庭樹もよく手入れされていて立派なのがたくさんある。何ヶ所かに説明書きもある。

しばらく町内を見て回って、そろそろここを離れようかという時におまわりさんに出会った。町内をうろうろと見て回っている時に2、3回会ったのでひょっとすると、怪しい男女か、と目を付けられていたのかもしれない。

「箕面まで歩いていけますか?」「どういう風に行けばいいですか?」などと尋ねて、そこから箕面まで結構近いことを確認した。

高級住宅街のはずれに「蝶々記念館」という看板を見つけた。先日衛星TVで「日本のお婆ぁちゃん」と言う蝶々さん主演の映画を見たばかりだったので、映画のシーンを思い出してしまった。
 
 
しばらく歩くと「箕面市立箕面小学校」と書いた立派な木彫りの看板があった。Wikipediaによると1874年10月16日創立の「第三大学区第四中学区第十六区第一小区第五番小学校」だそうだ。
 

校門を入ったすぐ右手に二宮尊徳の像を見つけた。台座には「孝 至誠 勤労」と書いてある。裏には昭和14年春建立とあった。いまどき、この像を見かけるのも珍しいのではないか。警備におじさんに言って、写真を撮らせてもらった。
 
 
また少し歩くと、かわいい建物。「日時計の家」と書いてあって、壁の高いところに日時計がある。陽がさしていれば、普通の時計と同じように日時計で時間がわかる。時刻は午後3時30分を指していた。


2013年1月25日金曜日

マチュピチュ会でボタン鍋 (1)

昨日1月24日、昼前に家を出て阪急宝塚線の支線の桜井駅に着いた。昼食はネットで見つけたフレンチ・イタリアンレストラン MENU(ムニュ)を予定。

昔ながらの道幅の狭い「シャッター商店街」を歩いていくとすぐ見つかった。



民家を改造して、白いペンキを塗った、「手造り」風のレトロ感一杯の内装だ。いや、まさに手造りそのものかもしれない。金をかけてプロに頼んだら、こんな風にはならないだろう。

奥か二階にも席があるのかもしれないが、僕たちが座ったのは、テーブルが4、5個ある20人も入ったら一杯になってしまう小ぢんまりしたスペース。僕たち夫婦以外は女性客ばかり10人ほど。

セットのランチを頼んだ。しっかりした味付けは、濃いめの味が好きな僕にも、「しっかりと味が付いてるな」と思わせる。

出て来る料理はみんな手が込んでいる。見た目も、盛り付けするだけでも相当時間がかかりそう。スープ、オードブル、パスタ料理、メインの肉料理、デザート、コーヒー、と全てがゆっくりと出て来る。急ぐわけではないから、ゆったりするのはいいが、一通りが済むまで、たっぷり1時間半はかかっただろうか。
 





満足して店を出た。ここから二駅先の箕面駅まで、ぶらぶら景色を見ながら歩くことにした。

実は先日、ボタン鍋を食べに行こうかと家で話していたら、マチュピチュ会のメンバーにも声をかけてみよう、という事になった。

ボタン鍋を食べさせてくれる宿、「風の杜」のホームページを見ると平日しか空いていない。仕事を持っている女性二人は都合がつかなかったが、チュニジア旅行から帰ってきたばかりのフリーの女性一人と1週間後にモロッコ旅行に発つ夫婦の3人が参加できることになり、計5人集まることになった。その宿「風の杜」が箕面にある、と言うわけだ。

この続きは、また明日。

2012年12月1日土曜日

ニューミュンヘンでマチュピチュの会

今日、2ヶ月ぶりかな、マチュピチュの会の飲み会をやった。場所は、この会お定まりの梅田の「ニューミュンヘン」

相変わらず、ここでおいしい料理を食べながらおいしいビールを一杯、じゃなくていっぱい。やっぱり、ミュンヘンは「トリカラ」が何と言ってもベスト。さんさん「マチュピチュの悲劇」を思い出しながら想い出話をたっぷり。

「マチュピチュの悲劇」についての詳しい話は、このブログの2011年7月24日の書き込みをご覧ください。

場所を移して新阪急ホテルの地下にあるバーへ。ここでの話題は、集まった皆で行く親善旅行。近々やろうと言っているベトナム旅行。

中のふたりは年末にチュニジアへ、別の夫婦は1月にモロッコへ、そして僕は1月に白内障の手術を受けようかな、と思ってたり、そしてその場に参加していないもう一人は仕事上の都合で3月は具合が悪い、などといってベトナム行きの計画がまとまらない。

そうこうしている内に、それじゃとりあえず近場の温泉にでも行こうか、という事になった。こちらもなかなかまとまらない。芦原温泉にしようか、新潟は誰も言ったことがないから新潟にしようか、いっそのこと北海道にしようか、と。
 
プランを考えてくれてる仲間! ありがとう、よろしくお願いします。

2012年9月4日火曜日

マチュピチュ会

2年と少し前の2010年7月に、大手旅行会社のパックツアーで、夫婦でペルーに9日間の旅行をした。この旅行がとんでもない、ひどい旅行になり、旅行費用の全額返金を求めて旅行会社を訴えることになった。この顛末は、このブログの2011年7月24日に詳しく書いている。

裁判、正確には調停だが、その期間中にも調停への共同申請者が集まって、知恵を絞る会と同時にそのあとの飲み会を何回も重ねた。

2011年5月27日の調停成立の後も、折に触れ、「懇親会をやろうよ」と声を掛け合い、つい先日も調停申請者7人全員が集まった。夫婦2組と女性3人だ。京都や、遠くは東京から駆けつけてくれた。

おしゃべり、おしゃべり、おしゃべり、・・・

飲む、飲む、飲む、・・・  
 
僕はビール大1と中4くらい飲んだかな? この店、「ニューミュンヘン」の「大ジョッキ」は大きい。多くの店ではたぶん「特大」というんだろうと思う。たくさん飲んだなあ。

「次は12月1日に集まろうね」なんて、次の約束をした。「マチュピチュ会」なんていう名前まで付けて。

それに、来年の3月7日から11日までの4泊5日のベトナム旅行まで約束してしまった。

この楽しい仲間、結束力はなんなんだろう?
いずれみんなでもう一度ペルーへ行こう、なんていう話も出ている。

2011年7月24日日曜日

惨憺たるマチュピチュ・ツアー  ***旅行代金、返せ!***

この項は、相当長いので興味ある人だけお読みください。

旅行会社を訴える

ちょうど1年前のこと、海外旅行の行く先人気ナンバー1のマチュピチュ・ツアーに参加した。しかも、個人ではなかなか予約が取れにくい上に、1泊の宿泊代が10万円ほどもすると聞いていた『サンクチュアリー・ロッジに泊まる』という、特別なツアーであった。

ペルーはトウモロコシでも有名。 特にジャイアントコーンはマチュピチュ近くだけで生産される。
世界で販売されているジャイアントコーンはすべてペルー産、と聞いた。
実際、帰国してからジャイアントコーンのいろいろな製品の産地を見たら、すべてペルー産と記されていた。
その夢のツアーに、とんでもないことが起こった。


これがあるから参加した、という「サンクチュアリー・ロッジに泊まる」というツアーの最大無比のポイントが、無情にも飛んでしまったのだ。

それというのも、添乗員の不手際で、経由地のアメリカで予定外の2泊をしてしまい、その結果、ペルー国内で6泊する予定が4泊になってしまった。4泊で6泊分の観光予定を全てこなすと言う無茶苦茶日程に変更された。。

サンクチュアリー・ロッジに泊まれなかったのは、ペルー入国が遅れたため、予定日にサンクチュアリー・ロッジに到着できなかったから。1年も前から予約が一杯になるというこのホテルだから、直前の宿泊日変更など出来るはずもない。

いったい何が起こったのか? 簡単に説明する。

ラン航空がサンフランシスコ・リマ間のフライトを就航させたのが2010年7月。1日が初便。僕たちの便は第2便の3日出発。この便に乗るべく、期待に胸膨らませて関空を出発。この乗り継ぎフライトを利用するツアーは、僕たちが初めてのはず。


予定より20分早くサンフランシスコ空港に着陸したが、ボーディングブリッジを使う順番待ちをしている間に、降機するのが定刻より大幅に遅れてしまった。結局、予定時刻より20分遅れて降機。

ツアーの予定表によると、サンフランシスコからペルーのリマ行きの飛行機が出るまでの乗り継ぎ時間は1時間54分しかない。降機待ちで、20分ロスしてしまっている上に、添乗員の緩慢な誘導。さらに、最悪なことに、乗り継ぎ便への待機依頼のミスで、リマ行き飛行機は、僕たちツアー客8人と添乗員の計9人を乗せずに飛び立ってしまった。

翌日にサンフランシスコからリマに行く飛行機はない。翌日にリマに行く便があるのはロスアンゼルスから。すぐに、サンフランシスコからロスアンゼルスに移動して翌日の便に乗れるようにすべきだったのだが、ツアー主催会社はサンフランシスコで1泊してから、翌日にロスアンゼルスに移動するスケジュールを選択。

この時点ではまだ、「サンクチュアリー・ロッジに泊まる」チャンスはあった。

ところが、あろう事か、翌日のサンフランシスコ発ロスアンゼルス行きの飛行機が機体故障のためフライトキャンセルとなり、代替便も手配できず、もう1泊サンフランシスコに泊まらされる事になってしまった。2日間をアメリカで無駄に過ごしてしまったのだ。これで、「サンクチュアリー・ロッジに泊まる」チャンスは消えてしまった。

2日遅れてペルーに入ったが、旅程は無茶苦茶。最悪だったのは、サンクチュアリー・ロッジに泊まれなかったことだが、そのほかにも、宿泊地変更、ホテル変更、観光予定地キャンセル、観光予定時間短縮、などなど、山ほどの旅行契約違反。

生命保険証書と同じように、ツアーに参加する時にも、読むのに頭が痛くなるような
説明書が付いてくる。 ツアー客は自動的にこの内容に同意することとなっている。
内容の良否は別にして・・・・・

ペルー国内のホテルも、下のように唖然とする内容。
1泊目 睡眠時間ゼロ。(ホテル滞在時間1時間45分)
2泊目 予定外のランク下のホテル。
3泊目 強行日程で高山病にかかってしまった上、睡眠時間6時間。
4泊目 睡眠時間3時間(ホテル滞在時間6時間足らず)

ここでのホテル滞在時間と言うのは、ホテルの玄関を入ってから出るまでの時間を指す。 
眠れなかったわけではない。物理的に、これだけの時間しかなかったのだ。

ツアー代金を返せ! と、団体交渉

帰国後、ツアー客8人はどうにも我慢できず、ツアー主催会社に旅行代金の全額返金・慰謝料などを求めて、団体交渉。数回の話し合いが行われたが、会社は非を認めようとしない。

この間、旅行トラブルの相談窓口である日本旅行業協会(JATA)に相談に行ったり、ツアー参加者がそれぞれ住んでいる自治体の消費生活センターに行って、弁護士と相談したりした。知人の海外専門の旅行会社社長に相談したりもした。

○全額返金は当然だが、さらに慰謝料なども請求できる、
○旅行約款は、勝手に旅行会社が決めたもので、それに拘束されることはない、という弁護士の意見があったり、
○一部返金を旅行会社に請求できるが旅行約款の範囲内、という全く旅行会社を代弁するだけのJATAの回答があったり、
○調停や裁判に訴えてみたら、という意見などさまざま。

裁判所に調停申し立て

結局、ツアー参加者の各種事情で、8人のうちの6人だけが共同で、裁判所に調停の申請をすることにした。旅行トラブルがあってから5ヶ月経った、2010年12月7日の事だ。

調停に要する費用は大してかからない。損害賠償などとして、1人当たり500,000円の請求を申し立てた僕たちの場合は、手数料と各種書類の郵送料合わせて1人当たり2,000円余り。

請求額の根拠は次の通り。(ツアー参加者により、額は若干異なる)

基本旅費                     429,000円
燃油サーチャージ             50,500円
その他                                  11,650円
海外旅行保険                        6,580円
                              計497,730円
                まるめて500,000円

裁判所なぞ、トンと縁のない6人がドキドキしながら第1回の調停の場に集まったのが、ツアートラブルのあった年を越して、2011年1月27日。

学識経験者というんだろうか、各種知識・経験豊富な人の中から選ばれた調停委員2人が、僕たち6人の申立人と相手方・旅行会社の意見を交互に聞く。相手は会社だから、代理人の弁護士が出てくる。ただし、相手の弁護士と『ど素人』の僕たちが、“丁々発止の交渉”をする、なんてことはない。

双方の主張の対立は如何ともし難く、合意は次回調停に持ち越されることになった。

第2回調停日は2011年3月11日。ちょうど、調停の話し合い中に裁判所の建物が大きく揺れた、東北大震災の当日だった。話し合いの合意点は見つからず、さらに次の調停日を設定してもらうことに。

第3回調停日、2011年5月26日。トラブルがあったのは前年の7月初旬だったから、1年近くになる。最初は、こちらの要求が通らないときは、本裁判をしてでも、と全員意気さかんだったのだが、さすがに1年の長丁場になるとしんどくなってくる。

調停を申し立てた6人の中にも、もういい加減のところで手を打とう、という意見が大勢を占めるようになってきた。僕たちツアー参加者と旅行社の双方から妥協案・額が出てくる。最後のスリ合わせを調停委員が行ってくれ、合意成立。裁判官立会いの下に調停調書を作成。

調停は、成立しなければ、途中に話し合った内容などにも全く拘束されない。しかし、いったん調停が成立すると、その内容に、双方が法的に拘束され、実行しなければならない。

1年近くかかって、やっと調停成立

合意に達した額は200,000円。旅行社はツアー客それぞれにこの額を支払うと言うことだ。

請求額の500,000円に対し、達成率40%。

もっとも旅行社の僕たちへの説明では、現地でのフライト変更に要した費用115,000円(旅行社が現地で支払い済み)はツアー客が負担すべき費用であるので、この額もプラスすると、315,000円支払うことになる、と言う主張があった。

添乗員のミスでひどい旅行になったのは明らかで、そのミスで旅程が変更になり、そのために要したフライト変更費用115,000円は当然旅行社が支払うべきものであり、今回の賠償額に含めてはならないと僕たちは主張したが、この点の見解の当否は棚上げにしたままの決着となった。

余談

旅行から帰って、このトラブルをどのように旅行社にクレームとして申し入れるか色々考えた。周りの友人、旅行トラブル相談機関、消費者センターなどへの相談はもちろんだ。

旅行社の担当責任者など、「自分の長い旅行業務・営業の中で、こんなひどいツアートラブルは初めての経験です」と自ら白状した。それでも会社としては、ツアー客に全額返金すると言う判断は営業上くだせない。今後の“悪しき”前例になるのを恐れたのだろう。

旅行約款だけを見れば、「旅行の変更補償金は旅行代金の15%以上は支払いません」と書いてある。上にも書いたが、この旅行約款は「旅行社が勝手に規則を作ってツアー参加者に押し付けているもので、公序良俗に反する疑いもある」と言う弁護士もいた。

マスコミにも、意見を求めたかったが、あまりやると「クレーマー」のレッテルを貼られかねないので、自重。新聞社1社にだけは、相談のメールを出した。

ただ最近の新聞を見ていると、旅行会社の全面広告がなんと多いことか。化粧品や健康食品の広告も多いが、派手で大きくて多いのは旅行広告。新聞社に相談しても、消費者サイドに立った動き、すなわち紙面上で問題提起することなど、できるわけがない。新聞社としては、この広告不況の中で大々的に広告を出してくれる旅行社は、ときの“神様”のようなものだ。そんな“神様”の神経を逆なでするような記事は書けない、と言うわけだ。

若い女性記者が「一度話を聞きたい」と、面会の申し込みがあり、僕が新聞社まで出向きツアーのトラブルを話したが、『突然の会議予定が入ってしまった』との理由で面会予定時間を短縮して終了。新聞社・担当者の姿勢がミエミエ。

この夏の旅行シーズンが終わったところで、ツアーでトラブルにあう人がわんさか出てくるのではないかと思う。旅行社と戦うのはなかなかエネルギーが必要で、たいていの人は『涙金』だけで泣き寝入りさせられてしまうのがほとんど、と関係者から聴いた。

さて、トラブルに遭わないようにするにはどうしたらよいだろうか? 遭ってしまったらどうしたらよい?

ストライキによる飛行機欠航で賠償金交渉
アムステルダム・スキポール空港での出来事

過去にこんなことも経験しているので、興味がある方はこちらをご覧ください。僕のホームページです。