2015年12月30日水曜日

初めての脳梗塞で初めての入院


11月18日に「初めての○○」と題して「初めての松葉づえ」の事について書いたが今回はその第2弾!! ・・・というか、「初めての脳梗塞で初めての入院」の方が先に起こった出来事だったんだが。
 
11月5日(木) 淀川の河川敷でテニスの一人練習。いつもの通りビール付き夕食を摂った後、うたた寝。眼が覚めたのでいつもの腹筋運動をしようと体を起しかけた途端 左の手の平に “しびれ” を感じた。10分ほどで治まった。
 
11月8日(日) 午後3時50分 浜松へのバスツアーでの帰り道、トイレ休憩の為にサービスエリアに入った。うたた寝から覚めて立ち上がろうとした時に 左の唇・ほお・手の平に “しびれ” 。今回は1分ほどで治まった。同行していた妻の意見もあり、大阪に帰ったらすぐに医者に診てもらう事にして取りあえず帰宅の旅程を続行。
 
同日 午後8時42分 阪急電車の高槻市駅に帰ってきた時点で駅から#7119に電話。この電話番号は救急車を呼ぶかどうかをひとまず相談する為のもの。看護師さんが応対してくれて、症状を説明すると救急患者を受け容れてくれる病院を2院紹介してくれた。整形外科医と脳神経外科・内科医が当直している病院だ。しびれが整形外科的なものなら緊急性はない。脳神経的なものなら緊急を要する。両院に電話して、脳神経内科医が当直している方、みどりヶ丘病院に行くことにした。
 
同日 午後10時前 いったん家に帰り、万が一「入院しなさい」と言われた時に備えパジャマなどを持ってマイカーで病院に到着。症状を説明するとすぐにMRI室に。
 
同日 午後10時半ごろ MRI画像を診断。脳の視床下部のあたりに脳梗塞の痕跡らしきものが見えるが、しびれの症状が出てから7時間近くも経っているので、この画像だけでは断定できない。ただ、しびれの部位と症状だけからすると毛細血管が詰まる「ラクナ梗塞」が疑われる、との事。僕としては、5日のしびれは昼の運動のせい、8日のしびれはその日一日立ちっ放しで腰痛を起こしていたのでその影響、と思いたかったのだが・・・

「入院してもう少し調べてみますか?それとも帰りますか?」と先生が聞いてきた。「もし僕があなた(医者)のお父さんだったとしたら、どう言いますか?」と逆に聞き返した。その答えは「入院!」――という事で入院決定。
 
11月9日(月) 朝 脳神経外科の担当医が決定。再度MRI 撮影。「ラクナ梗塞」の診断確定。首や腰の神経系統の異常では、手足のしびれは考えられるが唇やほおのしびれは考えられない、との事。経過が良ければ、すなわち症状が再発しなければ1週間後に退院も可能だとの事で治療開始。
 
11月8日(日)~14日(土)、7日間の 入院生活はこんな感じだ。

  0600 起床
  0800 朝食、錠剤2個摂取
  0900 午前の点滴開始(血液をサラサラにする)、約2時間
  1200 昼食
  1500 午後の点滴開始
  1800 夕食
  2100 消灯
 
毎日欠かさず飲んでいたビールはもちろんない。珈琲もない。おやつもない。食事は1日1800kcal。健康そのもの。

テレビはOKだが、じっとしていては体がなまる。途中から、体操や階段の上り下りを始めた。階段は1階から5階までで、全部で110段。それを5往復して計550段。そこそこの運動量だ。
 
11月14日(土) 午前10時 無事退院。入院中の梗塞再発はなかったが、手の平と唇とほおの極く僅かなしびれの様なものが3、4回感じることがあった。それ以外の後遺症は何もない。不幸中の幸いだった。

脳梗塞の原因はいろいろ。僕の場合は、糖尿、コレステロール値、高血圧、飲酒量などが従来から少しずつ高い。食事内容、運動、ビールの量を若干調整する必要がありそうだ。

処方された薬は血糖値を下げる薬、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬の3種。それに加えてビールの量を中瓶1本(500ml)までに指定された。

2015年12月21日月曜日

「エア・フェスタ浜松2015」----  ブルーインパルス

航空自衛隊では各種飛行機を飛ばして観客に見せる事を「展示飛行」と言う。

その航空自衛隊の「ブルーインパルス」と言う特別なチームが曲芸飛行(アクロバット飛行)をするのも「展示飛行」と言う。

以前から一度見てみたい、と思っていた。今年の9月26日(土)の「紀の国わかやま国体」の開会式で祝賀飛行をするというので和歌山まで見に行ってきたのだが、あっと言う間に終わってしまって 消化不良の感、はなはだしい。

そこで大手旅行会社の一つのバスツアーを見つけた。銘打って・・・

  航空自衛隊・浜松基地ブルーインパルス「エア・フェスタ浜松2015」2日間

  2015年11月7日(土)~8日(日) の1泊2日。
 
朝 8:30 大阪・梅田のバス駐車場を出発
トイレ休憩などを入れて大阪・梅田から約5時間。航空自衛隊の浜松基地に着いた。
 
公式にはフェスタの日程は8日の1日だけなのだが前日の7日にも基地が解放されていて「前日祭?」が開かれていた。
 
「前日祭?」なのに基地内の駐車場は「満車」の案内
 
2人乗りジェット戦闘機の操縦席に乗ってみることができる

空に5機で☆マークを描く
たくさんの飛行機が展示されている。ゼロ戦もあった。


もちろんメインは8日(日)。このツアーの日程の前後は好天だったのだが、運の悪いことに当日の天気だけは最悪で雨だった。

朝早く会場に着いた。例年の入場者数は10万人くらい、という事だが雨の為か後日の新聞報道では5万人と言うことだった。それでも人はいっぱい。年齢層は子供・若者・壮年層・高齢者とすべてにわたり、意外にも男女の比率も半々くらい。

お昼時は食べるものを求める人で行列・行列・行列
 
航空自衛隊OB?の小編成バンドの演奏会

 
プルーインパルスのパイロットのサイン会もある
 
全6機が勢ぞろいして離陸を待っている
 
出発前の最終チェック

パイロットが乗り込む


観客に向かって手を振る。この機体には2人が乗り込んだ。
あいにくの雨天で、雲が低い。1000mくらいしかないのではないか。だから編隊が上下に飛び進むという事はない。アクロバット飛行の演技の中でも、水平に近い動きのものだけに制限されてしまう。天気のことだから仕方がない。
飛行機を撮りなれていないので、なかなか良いショットがない
雨天と言う悪条件の中でのアクロバットではあったが 、それなりに楽しんだ。1時間30分余りのブルーインパルスの展示飛行がすべて終わり、即帰りの観光バスに乗り込み大阪への帰途に就いた。

さてバスの中で、僕にとって 大事件の発端となるある出来事が起こった。その話は別項で・・・

2015年11月18日水曜日

初めての松葉づえ

「健康ボウリング教室」は無事終わり、商売上手の“ラウンド1”に乗せられて次なるコースは「クラブ活動」。10月スタートで3月終了の20回コース。昨日の17日で6回目が終わった。すでにマイボールのプレゼントも頂き、もうすぐボウリングウェアももらえる事になっている。

さぞや上達したかと思いきや、とんでもない。174のハイスコアはあったものの、100に満たないこともあり、散々。

まずはフォームから再検討しようと、昨日はちょっと真面目にコーチに教授を依頼。ピンを倒すのは二の次として、足のステップや手の振り方など基本に気を付けて投げること1ゲーム、20投。結構姿勢とステップに気を付けて投げたのか、足首が少し痛くなったが大したことはない。

ところが、家に帰って2時間ほどすると足の右太ももが痛くなり出し、直径10cmくらいの腫れも出てきた。すぐにアイシングを繰り返ししたが、夜遅くには1歩を歩くことさえ困難な状態になってしまった。

1夜寝た今日朝。わずかに良くはなったが、とても歩けない。テニス肘でお世話になった整骨院に連れて行ってもらい受診。大腿四頭筋だか大腿二頭筋だかとその周辺の筋からの出血があるとか。取りあえず歩けるようになるにもちょっと時間がかかる、とか。

次の、日・月・火の3日は南九州への旅行予定が入っている。それまでにはそこそこに治しておかねば。

整骨院で松葉づえを借りて帰った。何気なく人の松葉づえ姿を見ていたのが、今度は自分の番だ。これにも結構テクニックがいる。整骨院の先生が教えてくれたそのテクニックを実行しながら、なるほど、と感心している。

2015年11月3日火曜日

はにたんプレミアム商品券 192冊に殺到

国の消費喚起策の一つで全国で2500億円の予算を充てた全国のプレミアム商品券。高槻市の場合、1万円で1万2千円の買い物が出来る「はにたんプレミアム商品券」を10万冊発行した。税金を2000円x10万冊=2億円 使う、ということだろうか。

1人最大5冊購入できるという事だった。6月・7月に募集の期間があり、我が家でも3人x5冊=15冊の応募をした。すべて当選すると18万円分使える、という事だ。
 
 

申し込み多数で、当選倍率2.15倍。抽選の結果、我が家はラッキーなことに3人とも当選した。使用可能期間は年末までの4ヶ月少々。家族内では「そんなに使うかな?」と言う声もあったが、パソコンが故障したし使い切れなかったら新しいパソコンでも買う事にしよう、という事で15冊すべて購入。

 

あれから2ヶ月少々経った。日々の食料品や衣料品などで18万円分のほとんどすべて使い果たした。4ヶ月どころか2ヶ月しかもたなかった訳だ。パソコンを買うどころではない。

最初の抽選で当選権利を放棄した人が少なからずいて、落選者の中から追加当選者を決定する旨の告知があり、さらに最終的に192冊売れ残ったのを今日3日に市役所で販売する、とのお知らせが高槻市の広報に載っていた。

朝10時から販売するとの事。ネットのツイッターを見ると、9時に整理券を渡し始めるとの事だったので娘と9時少し前に家を出た。9時前には市役所に着ける。あわよくば2冊ゲットできる、という算段だった。人間の心理とはおかしなものだ。市役所の方向に向かっている人がみなプレミアム商品券を買いに向かっている、そんな風に見えて「ライバル」に思えてくる。

市役所周辺では菊花展もやっていて結構な人がいた。市役所入り口近くに100人くらいの行列とプラカードを持ったガードマンがいるのが見えた。販売開始の1時間以上前なのにもう100人もいる、と感心。「ここが行列の最後尾です」と書いたのをもっているんだろうと近づいた。

驚いたことに、プラカードに書いてあった文言は「整理券の配布を終了しました」だ。
 
 
 
ガードマンによると、朝6時にはもう行列が出来ていて、7時には100人を超していた、との事。買えるのは一人1冊限り。2000円のプレミアムを得るために3時間も4時間も前から並ぶとは、すごい根性・努力だ。

それに加えて驚いたことがもう一つ。今並んでいる人、約100人。「何に並んでいるの?」と聞いたら「キャンセル待ち」との事。192冊(192人)の整理券の中からキャンセルが出たらゲットで来る、ということらしいが、いくらなんでも50人も100人もキャンセル者が出るとは思えない。列を作って、並んでいるのが楽しいのか、おしゃべりをしているのが楽しいのか?

家への帰り道、往きと同じように、すれ違う人がみな商品券を求めて向かっているように思えてくるが、違うのは「ライバル」と思うのではなく「もう今から行っても買えませんよ」と教えてあげたくなってしまうことだった。

2015年10月18日日曜日

ドラマ ハッピー・リタイアメント

雑誌「GOETHE」(ゲーテと読むらしい)に連載されたものを2009年11月に単行本として発行されたものが「ハッピー・リタイアメント」。コミカルでちょっと皮肉っぽく社会を描いた、あっという間に読める軽~い痛快小説。




この本が出た翌年の2010年3月末に僕が完全に退職した。

さらにしばらくしてからこのブログをスタートした。それが2011年1月1日。そのタイトルが「ハッピーリタイアメント」。「・」のあるなしが違うが……

そして今日、「ハッピー・リタイアメント」をテレビドラマ化してABCテレビで放映された。えらいものだ、小説を読んだのが5年前だが筋をほとんど忘れてしまっていた。

2015年10月4日日曜日

日章旗のサイズ

2015紀の国わかやま国体」で天皇・皇后両陛下をお見送りした。その時に路上で配布していた紙製の日の丸。


 
この画像を見てお気付きになりましたか?

この旗の寸法は 

  縦180mm x 横270mm(縦2:横3)
  日章の直径         97mm(縦寸法の 約2.7/5)

赤字の値が違っているようです。旗日には必ず玄関に国旗掲揚している僕にはすぐにわかったんです。ちょっとバランスが悪い、と思ったんです。どう間違っているかは、時間がありましたらネットなどで御調べください。
 
我が家にはどういう訳か3枚の国旗がある。国旗屋さんに買いに行った記憶はないので、どれも誰かからもらったものに違いない。寸法は

  縦700mm x 横1,050mm(規定通りの縦横比 縦2:横3)
  日章の直径           420mm(規定通り)

と言う正式寸法のものが1枚あるが、縦700mm x 横900mm という規定寸法にも別途指定の特例寸法にも準じないのが2枚もある。どれも日の丸の大きさは規定通りになってるんだが。

2015年10月2日金曜日

天皇皇后両陛下を日の丸でお見送り

東京に住んでいる人は、天皇家の方々を見る機会は結構あると思うのだが、何せこちらは大阪。なかなかそんな機会は多くはない。

あっけないブルーインパルスの飛行を見た後はまだたっぷり時間がある。そんな時に、国体の開会式に出席された両陛下が会場を後にされるのをお見送り出来る、という事を聞いた。

警備の和歌山県警の警官によると、両陛下がお通りになるのは1時間ほど後の事らしい。お見送りに許された歩道のすぐそばの喫茶店に入り時間を過ごし、いよいよあと数十分。

ロープを張った区域だけがお見送りに許された場所。誰かが、こういう時の必須アイテムの日の丸を配っていたのでありがたく頂いた。さて、この日の丸、見た瞬間「ちょっと違う!」と感じた。寸法がアンバランス、というか、決められた比率で作られていないように思った・・・・・

警備の警官からお見送りの段取りの説明が何どとなく(繰り返し繰り返し)あった。こんな具合だ。

 
お見送りの車列が通過する前には警備のロープを外すが絶対にこの場所から移動しないように。警備の警官はすべて見送りの一般人の中にまぎれるように入り込む。(聞くと、陛下から見たときに警備の物々しさが際立たないようにする為との説明があったが、警備上の別の理由もあるのかも知れない。)

B」の表示の車が来たらそれは両陛下のお車の通過の10分前、ですよ,
 

「3」の表示の車が来たらそれは両陛下のお車の通過の3分前、ですよ。
 

「1」の表示の車が来たらそれは両陛下のお車の通過の1分前、ですよ。
 

黒塗りの大きな車が2台連なってくる。陛下は後ろの車にお乗りである。後席右に天皇陛下、左に皇后陛下、ですよ。

 

Z」の表示の車が来たらそれは両陛下のお見送りは終了、ですよという具合。
 

すべては順調に、そしてあっという間に車列は通り過ぎて行った。

感想は? そんなの、感じる間もない、と言うか・・・・・

45年前の1970年、大阪万博でアルバイトをしていた時に、未だ両陛下が「皇太子殿下・妃殿下」とい言われていた時のこと、雑誌社の報道入場証(プレスパス)をもっていたので、数メートルまで近づいて写真を撮った事があるのを思い出したくらいだ。
 
 

ところで、天皇家の方々の写真を勝手にブログに載せてもいいのか?という疑問。ネットの記事によると、「個人で行うなど常識の範囲内ならば問題ない」と言う事らしいので念のため。

2015年10月1日木曜日

ブルーインパルス

誰でもが知っている名前ではないと思う。

1964年東京オリンピックで競技場の上空に五輪のマークを描いた航空自衛隊のアクロバット飛行チームの名前だ。

大阪近辺では、この3月に「姫路城大天守保存修理完成記念式典祝賀飛行」と言うのが行われていたが残念ながら見逃してしまった。かねがね見てみたと思っていたので予定を見ていたら、9月26日(土)の第70回国民体育大会「紀の国わかやま国体」開会式で祝賀飛行をするのを知って、行ってきた。

家から自転車・JR電車・徒歩で3時間。心配した雨もなく、暑くもなく、ちょっとしたハイキングがてらのお出掛だ。

開会式をする競技場には切符がないので入れない。祝賀飛行見学に適当な場所を探しながら周囲を散歩。空さえ見えれば飛行機は見えるので、そんなところを探して待つこと2時間足らず。
 
 
 
 
開会式をしている競技場からのアナウンスが聞こえてきた、「飛行機の音が聞こえてきました」。

待つ間もなく5機の飛行機の編隊が見え始め、音が大きくなり、そして白い煙を吐きながら5機が頭上をあっという間に通り、そして離れていった。
 
 

ほどなく、1機がまた飛来し、機体を横にして、そして頭上を通過。

さあ、次はどんな技を見せてくれるのかな、と僕はもちろん周囲にいるカメラを構えた多くの人たちは待っていたのだが、ナシのつぶて。「えぇ? あれだけ??」と、みんなの表情。

姫路城の飛行はYoutubeで見ていて10~15分程あったので、同じくらいのをと思っていたのだが拍子抜け。

アクロバット飛行の見学はまた別の機会に期待することにして、帰途に。

と、その時に、開会式にご臨席いただいた天皇皇后両陛下の会場からのご出立の見送りの機会が付近の道路上である、と言う事を聞いた。こんな機会はなかなかないので、まだ1時間先の事だとは聞いたが、天皇皇后両陛下をお見送りすることにした。

この話は次回のブログで。

2015年9月29日火曜日

健康ボウリング教室 卒業も……

8月18日にスタートした全6回の教室は今日29日で終わった。

ボウリングは予想外に体力がいる。1ゲームで20投ちかくする。2ゲームもすると汗をかくほどだ。足もヨタヨタとしてくる。

初回スタートの時に「上達が楽しみだ」なんて意味の事を書いたが、体力強化もせず、テニス肘の影響が結構深刻だったせいもあって上達どころではなかった。肘をかばったからか、ボールを保持する肝心の薬指を痛めてしまった

スコアは、結局、1週目: 87
2週目:         98  113
3週目:        112  127
4週目:  休み
5週目:        117  108
6週目(今日):     96  107  107 

ま、安定して低スコアだったわけだ。これはテニス肘のせいではなく僕の運動神経のせいかもしれない。肘も指もまだ完治していない。

卒業生“の中に一人、スコア200オーバーのシニア男性が一人。聞くと相当の経験者、ということだった。

さて、このコースの途中でボウリングシューズの説明があった。右利き用と左利き用があって、使い勝手がかなり違う。ゆきがかりで右利き用シューズをついつい買わされて(いや、買って)しまった。意外と安い(1,480円)ものだったものだから。

このコースが終わると「クラブ活動」という、任意参加のコースが始まる。全20回(20週)で、毎回参加費が1,300円(ゲーム代300円x3と諸経費400円)。

これでクラブ活動の最後には専用のマイボールとマイ・ボーリングウェアをプレゼントしてくれるという。マイボールは安いもので15,000円くらいからあるらしい。

ボーリング場もうまく商売を考えている。高槻市後援「健康ボウリング教室」と銘打って、安価で集客。教室終了後は「クラブ活動」を提案。シューズでやる気にさせて、プレゼント攻勢をかける。そして、ボウリングファンを作る。

平日の昼前後の客のガラ空きの時間帯にシニアを団体で呼び込み、ボウリング場の利用率をアップ。なかなかアイディアも良い。商売、こんな努力も必要だ。

「クラブ活動」20回、5ヶ月先にはアベレージ150の世界が待っているんだろうか。
 

2015年9月27日日曜日

毎日新聞「みんなの広場」に投稿掲載

去る9月19日(土)に、「日本国憲法が『危篤に』」と題してこのブログに僕の思いを書いた。せっかくの事だからと同じことを同じ日に毎日新聞の投稿欄「みんなの広場」にも送った。ただ、字数が制限されていて、420字までということだったので575字のブログの文を制限内になるようにカットして投稿した。

毎日新聞のこの欄には、毎日数百通とか数千通とかの投稿があるのだろうと思う。僕のつたない文が採用されるのは至難の業とは承知しているが、それでも翌20日や21日の新聞では一番に同欄を見たものだった。もちろん、僕の投稿など載っていなかった。

しかし、昨日24日(木)夕方、「毎日新聞の○○です。投稿ありがとうございます。次の日曜日にあなた様の投稿文を掲載することになりました。」と連絡があった。

投稿文を載せるに際して、住所、氏名、年齢、文の内容の再確認を確認するんだと、勉強させて頂いた。

そして今日27日(日)朝一番、新聞を確認した。見出しは「許されぬ 憲法解釈変更」。日曜日の同欄の右上に、まさにトップ位置に僕の文があった。投稿した文からさらに短くなり、数えると343字。大意は間違っておらず、良しとする。
 
2015年(平成27年)9月27日(日)毎日新聞 朝刊
 
この僕の意見を日本全国のたくさんの方々に読んで頂いていると思うと、いまさらながらに身が引き締まる思いがする。

2015年9月19日土曜日

日本国憲法が「危篤」に

説明に説明を重ねても「まだ説明不足だ」と言われるのは、説明の中身のせいではなく憲法解釈の変更などと言う「やってはいけないことをやった」からだ。

司法界の多くの人が「憲法違反だ」という法律を作ってしまった。発案した自民党にその責任があるのは当然だが、それと同等以上に負の責任を負わなければならないのが公明党だ。

日本の尊厳が守られ、日本が国際的に高く評価され、日本人が敬われるようになるために必要な法律ならば、憲法を改正してでも作らなければならない。憲法改正の手続きを踏んだ上で、新法律を立案する。日本人すべてがよく考え正しく判断して、これを立法府に委任する。これがまともなやり方だ。

しかし、もう「安全保障(悪)法」が成立してしまった。今、国民に出来ることは「反対」を唱え続ける事とこれからの選挙で自民党と公明党に投票しないことだ。もちろんこの法律に賛成したその他の諸々の党にも、だ。

一つ期待したいのは司法だ。ただ、「1票の格差」の裁判で明らかに「違憲」なのに「違憲状態」などと言う意味不明の日本語でお茶を濁す判決文を書く裁判官の事だ、この件で判決文を書くときにどの様な「意味不明新語」を作り出すのか、それとも直球勝負で国民をスッキリ納得させてくれるか、だ。立法府と行政府におもねる司法府の君たち、「お前もか!」などと言われないようにしてほしい。期待する。

2015年9月6日日曜日

白内障手術を検討中の方は必読


右眼白内障手術

7/6 左眼の後発白内障のレーザー手術を受けた。

7/27 後発白内障のレーザー手術後3週間のチェック。問題は何もなく快調。

「もうそろそろ右眼の白内障の手術を受けようかと思ってるんですけど」と切り出したら、「そんなに悪いようには見えないけど、『そろそろやりたい』と思ってるんならやりましょうか」と先生の一言で決定。8/18に手術の説明会、8/31に手術と決定。

8/18 家族同伴で説明を受けた。再診料・各種検査料が3割負担で2,360円。

手術日の3日前から指定目薬をさすように、と処方された。外の薬局へ行って購入。2本で460円。

8/31 手術当日

 1320 指定された時刻は1330。クリニックには既にたくさんの手術を受ける患者が待っていた。行くとすぐに目薬をさす。何分かの間隔をおいて5~6回。

 1425 「手術準備室にどうぞ」と案内された。準備室には既に順番を待って待機している人が3人。靴にカバーをし、手術着を着て、頭にキャップし、右眼の周りにもカバーを付けた。右胸には「手術はこちらの方の眼ですよ」と確認のための札をペタッと貼った。待つこと30分余り。

 1500 いよいよ手術室に。中には手術する先生と男性助手(?)1人と女性看護師3~4人。歯医者さんにあるような後ろに倒れるイスに座り、ほぼ水平になるまで後ろに倒れて行った。先生は僕の頭の後ろに座っている。

 まず、眼だけを出して周りを覆って手術の準備。「ハイ、始めます」の一言で手術が始まった。

 医者と看護師が何やら数字の確認をたくさんしていて、様子からするとレンズの選択をしている感じ。でも特注メガネのように、当然僕専用の特注眼内レンズを発注していて用意していると思うのでそんなわけはないと思うんだけど。

 「よし、それでいこう」で開始。洗眼、麻酔剤(?)などの薬液を眼にかけた。「下を見て!」「緊張しないで力を抜いて!」と指示が出る。手術を受けているのにリラックスするなんてのは余程の人でないと出来ない芸当だ。時々「痛くない?」なんて言う問いかけもあったかな?水晶体を砕く超音波の音。水晶体を吸引する感じの音。眼内レンズを挿入する感覚。

 手術中は痛みは全くないが、心地よいという訳にはいかない。左眼の白内障手術は別のクリニックで1年半ほど前に受けた。その時には手術ライトがまぶしくて拷問のように感じたが、今回のライトはそれ程ではなく、楽だった。

 僕もさすがに手術中は、平常心ではおられず、先生の言った一言一言、手術の進行状況を冷静に覚えてはいない。眼球を触っている時間はせいぜい3分前後だったろうか。「ハイ、終わりました。うまく入りましたよ」で「ホッ」。

 1510 手術室から退室。左眼には大きなガーゼを当てサージカルテープで大きく×印で固定してある。眼を開けるとガーゼを通して光が入ってくる。

今日のこのクリニックの手術は11人。すべてが白内障の手術だったかどうかは分からないが・・・。かかった時間はだいたい皆10分くらい。

かかった費用は、3割負担で49,980円。そのほかに保護メガネ代が3,000円(保険適用外)。

外の薬局で内服薬3日分、痛み止め頓服1個、点眼薬3本を購入。3割負担で1,090円。この眼薬は手術後1ヵ月間毎日さすことになる。

片眼では運転が出来ないし自転車も危ないので、タクシーで帰る人もいるが、僕は妻につきそってもらっていて妻の運転で帰宅。

 

9/1 手術翌日のチェック。先生がガーゼを取って僕の眼をチェック。

「どう?」
---「異常ありません」
「痛みは?」
---「全くありません」
「じゃ、2日後に再検査に来てください。いつも保護メガネをかけておいてくださいね」、で終了。

夜は保護メガネでは外れるのが心配なので、左眼白内障手術の時に使った片眼眼帯をテープで張って就寝。

9/2 朝起きて気がついた。



右眼手術

左眼: 前回手術済み

右眼

色味

クリア

相当黄味かかっていた

明るさ

明るい

暗い

コントラスト

クリア

ぼやっとした感じ

右眼手術

左眼: 前回手術済み

右眼: 今回手術

色味

クリア

クリア(左眼よりごくわずかに青っぽく見える)

明るさ

明るい

明るい(左眼と同等)

コントラスト

クリア

クリア(左眼と同等)

9/3 手術後2回目のチェックの日。先生には何の異常もないことを報告。

テニス: ボールが目に当たったりするのは非常に危険なので1ヶ月は禁止。
ボーリング: OK.
トランペットを吹く: OK。今回とは別のクリニックで左眼の手術をした時には1ヶ月くらいはやめておいた方が良いと言われたのだが、こちらの先生は「いいですよ」の判断。
 
手術した右眼の視力検査の結果
  裸眼:  1.2
  矯正:  1.5
 
次のチェックは9/11