2024年3月18日月曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第3回」

 1971年「海外の旅」11月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第3回 ヒッチで白夜の国へ

ヘルシンキ ~(ヒッチハイク)~ ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し


下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。


写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。


順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - - 
       
横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
 1971年11月号 ヒッチで白夜の国へ (今回)
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
 スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国

2024年3月7日木曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第2回」写真集

 1971年「海外の旅」10月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第2回 汽車に揺られてソ連を通過

ハバロフスク  ~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ


◎◎ 今回は前回2024年3月1日のブログで紹介できなかった写真を公開 ◎◎

1971年3月29日 いよいよシベリア鉄道
ハバロフスク→モスクワ 8,531km 135時間40分
3月29日~4月4日 6泊7日(時差の関係で計算が?)

3月30日 シベリア風景


列車通路

コンパートメント内でカードに興じる乗客



ユタ駅 売店

結構長時間停車するのでブルブラしたり写真を撮ったり

ユタ駅で食料品の買い出し

ジャガイモを買うにも値段の交渉が必要

スチュワーデス

4月2日 駅内カフェテリア
ノボシビルスク駅で 私

ノボシビルスク駅

4月4日 モスクワ市内バス観光
モスクワに2泊予定だったが突然一方的に
キャンセルされ、替わりにレニングラード
2泊になった。お詫びの意味かモスクワ市内
半日バス観光を提供された。


ウクライナホテル

モスクワ大学、車窓見学

プーシキン広場?


レーニン丘からモスクワ市を望む

モスクワ地下鉄構内

クレムリン 赤の広場
          
4月4日 モスクワからレニングラード行き切符の表紙 

上: 座席指定カード
下: 乗車券と寝台車券
  運賃15.20ルーブル(\6,080)
  予約料0.80ルーブル(¥320)
4月5日 レニングラードに到着
(現在はサンクトペテルブルグ)
街角の売店の行列
夜は??劇場でバレエ鑑賞

4月6日 観光バス半日観光
アストリアホテル前でイサーク寺院と子供たち
(宿泊地では必ず1回の観光が付いてくる。
それも、日本語通訳ガイド付きで。)

アストリアホテル(歴史書に出てくる
超一流ホテル。現在も5つ星)に2泊。
貧乏旅行の私だがその頃は安いホテルを、
などと指定できなかった。

4月7日 エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館内
初めて西洋の美術館を見たせいかもしれないが、
その派手さ・豪華さ・大きさにビックリ。
床も壁も天井も柱もすべて美術品。

ネフスキー通り

レーニン像をバックに。
後ろの建物は地下鉄のフィンランド駅。
フィンランド駅とは向こうの言い方で、
フィンランド行きの電車が出る駅の事。

街で知り合った学生が自分の学生寮に招待して
くれた。今思えば、これも外国人の監視活動の
一環だったかも。


寒空の下、裸で日光浴。
泳いでいる人もいた。


2024年3月1日金曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第2回」

 1971年「海外の旅」10月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第2回 汽車に揺られてソ連を通過

ハバロフスク  ~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ


下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。



写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は次回に写真集として見ていただきたいと思っています。


順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - -
下の青字をクリックすると新しいウィンドウで記事のページが開きます。
       
横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

1971年10月号 汽車に揺られてソ連を通過 (今回)
ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
 1971年11月号 ヒッチで白夜の国へ
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
 スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国