2025年8月6日水曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第6回」

 1972年「海外の旅」2月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第6回 闘牛場のファンファーレ

スペイン・オランダ・ドイツ

下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。



写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は順次アップしたいと思っていますが整理が間に合わず時間がかかっています。



順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - -
下の青い字をクリックすると新しいウインドウが開き旅行記が読めます。 
       
横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ (今回)
スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国

2025年8月5日火曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第5回」

1972年「海外の旅」1月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第5回 わがイタリア万歳

イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・


下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。



写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は順次アップしたいと思っていますが整理が間に合わず時間がかかっています。



順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - -
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横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
1972年 1月号 わがイタリア万歳 (今回)
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国

2025年8月4日月曜日

「海外の旅」連載「足の向くまま 第4回」

 1971年「海外の旅」12月号 マスレジャー研究所発行

  足の向くまま 第4回 北国から暖かい南の国へ

ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン

下の画像をクリックすると新しいウィンドウで、この旅行誌に掲載された私の旅行記が読めます。私が今読み返すと、ところどころ意味不明のところがあったりしますが、ご容赦ください。



写真をたくさん撮りましたが雑誌紙面の限りがあり掲載されたものはほんの少しです。それらの写真は順次アップしたいと思っていますが整理が間に合わず時間がかかっています。



順次公開予定の、「海外の旅」誌「足の向くまま」の連載内容 - - - 
       
横浜~(船)~ナホトカ~(極東鉄道)~ハバロフスク

ハバロフスク~(シベリア鉄道)~レニングラード~(鉄道)~ヘルシンキ
       
ヘルシンキ~(ヒッチハイク)~ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
        
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ (今回)
ヨーロッパ最北端の島~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~スペイン
        
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・

1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
 スペイン・オランダ・ドイツ
        
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
        
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
        
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国

2025年7月17日木曜日

マドリード カサ・デ・カンポ ユースホステル 番長会

 最近、スペインのマドリードのユースホステルに1970年代に滞在した方からコメントをいただくことが多くなってきました。

懐かしむ方や、当時の記憶を探している方や、もう一度ユースに行ってみたい方などから色々コメントをいただいており、私のブログを通して連絡を頂いております。

私のこのブログにコメント書くのも読むのも結構面倒なので、hirobon の名でLINEのグループチャットを始めました。ぜひご利用いただければ嬉しいです。

下のQRコードをスマホで読み込むか、その下のアドレスをタップしてスマホのLINEを開いてください。


オープンチャット「Madridカサ・デ・カンポ ユース・ホステル」
https://line.me/ti/g2/LJWWcrdgIG7XsD3YKDlhWbE7bHej_xe9yP0pqw?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

「新しいプロフィールで参加」をタップして「ニックネームを入力」の欄にお好きな自分のニックネームを入れてください。そして右上の「参加」をタップしてください。
注意事項が出ますので、読んだ後「確認しました」をタップ。下の方の枠に文章が入力できるようになります。ご利用をお待ちしております。

2025年7月3日木曜日

スペイン最後の日 ~ 帰国

7月2日(水)

スペイン最後の日。

昨夜は夜10時に寝た。あまり寝られず、朝5時過ぎに起きてしまった。

06:00 ホテル→バス⇒電車⇒バス⇒バス

07:40 空港到着

10:10 チェックイン開始

13:10 飛行機出発

こんな予定。乗り継ぎ(⇒マーク)が3回あり、プラットホームから別のプラットホームへ、と言うような単純なものではない。道を間違えたり、停留所を間違えたり、時間がかかりすぎて予定のバスを乗り過ごしたり、別の行き先のバスに乗ってしまったり、と予定が遅れる理由はいくらでもある。

幸運なことにトラブルもなく、最後のバスのところまできた。最後のバスだけはGoogleMapが指示するのと違って、ちょっと遠回りするルートのバスに乗ってしまったので、当初の予定より5分ほど遅れて 07:45 に着いた。ほぼ完璧。

09:40 チェックインが早く始まった。誰も並んでいないのですぐ終わった。セキュリティーチェックも20分ほど。ただ、パスポートコントロールが1時間。買い物は何もないが、免税店をぶらぶらしていて、水分が欲しくなったので、自販機の前まで行って500ccの水が2.40ユーロ(408円)を見て高いなぁ、と思うと同時にVIPルームを使えるパスを持っていることを思い出した。

このパスと紐ずいているクレカを盗られたので大丈夫かなと思いながらカウンターに行ったが、特に問題はなかった。

北京空港に予定通り到着。

*** ここらあたりから、またひと騒動があったので後で書き足します。無事家にたどり着きましたのでご安心を!***

2025年7月2日水曜日

明日はいよいよスペインを離れる

7月1日(火)

スペインを離れる日は大体空港近くのホテルをとることにしていたが、今回は少し離れたところ、グアダラハラになった。グアダラハラに2日、空港近くに1日でも良かったがバタバタと動くのもシンドイかなと思ってこうした。

2日の飛行機はマドリード空港 T1 を13:10発。3時間前には空港に着きたいので最低10:00着目標。グアダラハラから空港までは50㎞足らずだが、GoogleMapで時刻表を見てみると大体2時間かかる。それも鉄道1本では行けない。鉄道とバスを3、4回乗り換えてスムーズに行っての話だ。初めてのところで、乗り遅れて次は1時間あと、などとなると2回乗り遅れるとアウトだ。

日本でGoogleMapで旅行計画を立てたことだ無いが、こちらでは鉄道とバスの時刻表の情報が沢山あって、計画を立てることが出来る。乗り換える駅の候補がありすぎて、調べるのが大変。とりあえず、1回乗り換え位で出来るだけ空港に近づければ、あとは最悪そこからタクシーと言う手もある。グアダラハラから空港まで全てをタクシーにすると 50km、150ユーロ(25,500円)くらいかかる。ちょっともったいないし、手持ちは130ユーロ。ちょっと不足です。

昨日、両替のためにここからマドリードの中心街の一つのアメリカ通りまでをバスで往復したが、片道3.78ユーロ(643円)だった。50km運んでもらってこの運賃だから安いですよね。

とりあえず、明日朝は6時にホテルを出ようと思っています。目標10時に2時間の余裕をもって。空港近くのホテルだとこんな余裕は必要なかったんですけどね。

今日はとりあえずホテルから鉄道駅までのルートを押さえておきたい。徒歩5分(290m)でバス停、バスを13分乗りバス停6個目で降り、降りたところから3分(150m)で鉄道駅・・・・・などと時刻表と一緒に詳しく出る。

ここのバスはALSAが運営していて1乗車1.05ゆーろ(179円)。L4ラインで行って、確かに鉄道駅に着くことを確認。目視しただけでバスの終着まで行くことにした。観光名所も古い町だから色々あるのだろうけど、今回は疲れたので全てパス。終着には何があったかと言うと町はずれの住宅街。

小腹が空いたのでバルに入った。客は男性3人、一人は大ジョッキのビール、二人は白ワインを飲んでいる。昼の12時半ごろ。私はCafé con lecheミルクコーヒー とつまみを一つ。イカリング揚げのようなのがあったので聞いてみたら残念!玉ねぎのリング揚げだった。それとギョーザの小型版のを各2つ頼んだ。しめて2ユーロ(340円)。ワインを飲んでるおじさんが話しかけてきた。「あんた、コーヒーにそのアテはないやろ。それはアルコールと一緒に飲むもんや」 さらに 「コーヒーには、パンにスライストマトを乗せそれにオリーブオイルをかけ、最後に塩をパラパラとふるのが最高!」 などと軽いお教え。

住宅の周りを一周していたら、公園で小さな子供たちがキャーキャーいいながら遊んでいた。こんな時間は学校のはずなのにと引率らしき女性に声をかけると 「お騒がせしてすみません、Campamento キャンピング なんです」 と説明があった。

その場をはなれて、しばらく散歩しているとその子たちに会い、ちょっとカメラを向けたら、なかの一人の男の子が No se puede だめだよ と言う。カメラを向けられていう言葉だから No se puede sacar una foto 写真はダメだよ の事だろう。 しっかり教育されてるなと思いビックリ。

しばらくして再びL4ラインのバスに乗り、もう片方の終着点に行った。そこはグアダラハラ大学病院だった。その向こうには広々とした丘があるだけ(写真を撮るのを忘れた)。病院内で自販機で飲み物を買いトイレを借りた。

帰りのバスに乗ろうとして運転手に1.05ユーロがなかったので10ユーロ札を出したら札は5ユーロまででだめ、バスに乗せない、と言われた。「どうにかして小銭を作れ」とも。ええ??帰れない!とちょっとパ二くった。

病院入口前にいた3人の女性に声をかけて、小銭に両替して貰えないかと聞いたがみんなNo。一人が病院の中にカフェテリアがあるのでそこで何か買ってくずしたら?と教えてくれた。この病院の自販機は札はダメなのがわかっていたのでカフェテリアへ。軽食を食べて5ユーロ札をゲット。小銭はいつも少しは持っておくものだ。ただ、多分クレカがあったら乗れたんだと思う。無事バスで帰宅。

2025年7月1日火曜日

一日がかりの両替、やっとユーロ現金が手に入った

6月30日(月)

ホテルから歩いて3分のところに銀行がある。入ってすぐに 円 → ユーロ の両替ができるか聞いた。返事は 「当銀行の口座を持っていないとできない」「ほかの銀行もそうだろう」 という事、この街に両替できるところがあるか聞いたが 「ないと思う、近くに中国人が経営するコンビニがある。中国人なら知っているかもしれない。」 と、ちょっと何かありそうな感じの返事。

せっかく教えてくれたので店に行ったが返事は、「わたし、何もわからない。スペイン語が分からない」 と言う。裏社会の取引でやっているのかもしれないが、そんなことを外国人旅行者の私にオープンにするわけがない。中国人店主は私の問いに、「No entiendo理解できません」と言うだけ。わかっていても分からない風を装った、と言う匂いがした。

マドリードの中心街に行くしかない。どんなにしていこうかと探していたら、バスステーションが1kmほどのところにあることがわかり、直ぐ向かった。11:00バス発車 11:50バスが中心街の一つ Avenida de America アメリカ通り に着いた。横に座った人に両替店があるかな?と聞いてみた。すると、「結構な繁華街だから多分あるでしょう」と言う返事。

ところが着いてみると、そんな風でもない。銀行の一つに入ったら、グアダラハラの銀行と同じ返事。途方に暮れていると、非常に大きなバスステーションの一角にインフォメーションがあった。時間を少しかけて調べてくれて、ここにあります、と行き方を教えてくれた。「地下鉄9号線に乗り、途中2号線に乗り換えSol 駅を降りて、降りてすぐのところにあります」 と。

地下鉄の切符を買うのがまた大変。券売機の近くに案内の人がいた。この人は一般の人ではなく地下鉄の職員。確認したうえで色々聞いた。「クレカは日本の発行銀行とこちらの銀行が取引があればすぐに新しいのを発行してくれると思うんだが」なんて言うのだが、そんなことで時間をとっていると今日に確実に手に入るとは思えないので、「いやいや、とにかく日本円でユーロを買いたいんです」といって、Sol に行ける切符を買ってもらった。まずはカードを買ってそれにチャージしてSol駅に行くという段取り。とにかく買い方が難しいのでたくさんの旅行客が戸惑っている。

Sol駅には簡単に着いた。エスカレーターと階段を上がると、言われた通りのところに両替商があった。すぐに飛びついて30,000円でユーロを買った。なんと155ユーロしかない。 1ユーロ=193円 びっくりしたがそんなことを言ってる場合じゃない。バス代や地下鉄代を払っているともう手元には30ユーロほどしかない。これは、最後の空港行くにも心配な額だ。

ちょっと話がかわるが、地下鉄の Sol 駅から地上に出たところで、たぶんアフリカ系だろうか黒人たちが路上に店開きし始めた。その写真を撮ろうとしている時に2、3人の黒人が「大黒様の袋」のような感じで白い袋を担いで私の横を通った。そして私のショルダーバッグをひったくるような感じで肩にかけたベルトをはじいた。すぐに私の顔を見て「写真を撮るのに集中してるとバッグをひったくりにやられるよ」と注意してくれたのだ。昨日スリにやられた後だったので、残念。



警官の姿を見ると広げていた商品をあっという間、
ほんの1秒でまとめて2秒目には肩に担ぎ、3秒
目には逃げ出し始めている。スゴイ早業だ。

ともかく一安心して昼食 El menu del día 軽いコース料理 16ユーロ。

飲み物はビール。パンは無料。
一皿目は当店風サラダ。


二皿目はOsobucoと言うイタリア起源の肉料理。
柔らかくて味付けも良くおいしかった。

デザートはTarta ケーキ
一式で16ユーロ(2,720円)



店を出う時にはボーイさんが「スリとひったくりに気をつけなさいよ」と言う。ほかの場所でも言われたことがあるので、よっぽど多いのだろう。外は暑い、36℃から39℃ 体力の消耗が激しい。体力にも気をつけねば。
沢山の人がこの像の前で写真を撮っていた。
何が有名なのか知らないが、わたしもついで
に一枚。

Sol駅からすぐに地下鉄でバスステーションがある元の場所に戻って、と思っていたのだがバスステーションの場所が分からなくなった。散々聞きまわって歩きまわってへとへと。やっと着いて今度は切符を買わねばならない。窓口がないので券売機。これがまたむづかしい。

たまたまGuadalajara行き切符 と言うのが画面に出てきたのでお金を払おうとしたら 支払いはクレジットカードのみ と書いてある。試しに現金を入れたら受け付けてくれない。数回試したが駄目。16:15発車予定 とも書いてあって、操作をしていたのは 15:50。 25分後出発なので、時間はまだあると思いながらもイライラしていると、たまたまバス会社社員が通りかかり、「バス代は運転手に払えばいいのよ。バス①番乗り場に行きなさい」 と。40番くらいまであるバス乗り場の中の①を探してギリギリ 16:02 に乗車。すると16:15 が定刻のはずなのに 16:06 に発車。 15分発と思ってゆっくりしていたら乗れなかったところだ。

バス車内の「車外気温計は39.9℃」を指している。無事50分ほどで グアダラハラ に帰ってき、スーパーでちょっと買い物をして、食べながら涼しい部屋の中でこれを書いている。