足の向くまま 第1回 本のとおりのシベリアルート
横浜 ~(船)~ ナホトカ ~(極東鉄道)~ ハバロフスク
◎◎ 今回は前回2024年2月25日のブログで紹介できなかった写真を公開 ◎◎
私の昔のアルバムの写真はかなり色褪せていたので、元のフィルムから画像を取り出しました。ただ、そのフィルムもかなり色褪せていたので色補正をしましたが、技術不足で満足のいく結果が出ません。
旅行中の使用カメラは35㎜フルサイズではなく、オリンパスPEN-FT というハーフサイズの往年の名機です。モノクロの写真もいくつかありますが、ヤシカATORON ELECTRO という超ミニサイズのカメラで撮ったもので、言わばスパイカメラです。別に、もちろんスパイするつもりで携帯したわけではありません。そんな事で捕まったりでもしたらエライことになります。ソ連の事ですから。
右列の最上段がもっとも一般的な35㎜フィルム その下が一時流行ったオリンパスPEN・FTのハーフサイズ 左列の6列はヤシカATORON ELECTRO その下のやや緑かかって丸まったものはフィルムが劣化して 丸まったり割れたもの。50年も経つと中にはこんな事も その下の紫色のフィルムは??? |
前置きはこれくらいにして、いよいよ写真を見てください。
1971年3月25日 横浜桟橋に着岸したハバロフスク号 |
いよいよ乗り込み |
出国検査 私の荷物はリュックひとつ、当時主流の横長タイプ |
チケットカバーだけ残っていて、 挟まれていたチケットは残っていなかった |
乗船カード 表(右半分)と裏(左半分) |
乗船カード 内部 部屋の番号や朝食・昼食・お茶・ディナー の時刻が書いてある |
船内で乗船チェック |
見送りの人々 |
早々とテープが飛ぶ |
1人で何十本も買って投げる |
現代では見られなくなったテープ投げ 環境汚染防止のため この風景も今はなくなった、懐かしい! |
この写真は地上からだから どなたかから頂いたものだと思う |
2段ベッドの4人部屋 ツーリストクラス |
ワクワク・ドキドキの出発前 |
ハバロフスク号甲板 |
サロンがダンスホールに |
日本人でダンスをする人は見掛けなかった |
レストラン フルコースの食事は船賃に含まれていた |
3月27日 ナホトカ港遠景 |
いよいよ港に着岸 |
ナホトカの両替所 5US$をソ連ルーブルに交換 当時固定レートで 1US$=¥360 1ルーブル=¥400 |
次はナホトカからハバロフスクまでの列車の旅 列車の指定席カード 裏に6号車36番席と書いてある |
鉄道チケット |
1枚目 乗車券 ナホトカ→ハバロフスク→モスクワ 46.70ルーブル(\18,680) 2枚目 寝台特急券 ハバロフスク→モスクワ 31.50ルーブル(\12,600) 予約手数料 2.50ルーブル (\1,000) 3枚目 寝台特急券 ナホトカ→ハバロフスク 6.20ルーブル (\2,480) 予約手数料 0.80ルーブル (\320) |
ナホトカを夜に出発 |
3月28日 ハバロフスクに昼過ぎ到着 |
ハバロフスク駅 駅前 |
ハバロフスク駅をバックに 私 |
ホテルから外を見る |
ツーリストクラス シングルベッド $10.89 (\3,920) 出発前に日本で支払い この頃のソ連人の平均月収は100ルーブル(4万円) と聞いた。ホテル代1泊が月収の10分の1になる。 この頃の日本の大卒初任給は46,400円。 |
バスでハバロフスク半日市内観光 宿泊費には観光バス代が(強制的に)含まれている ここハバロフスクには1泊だけ |
氷結したアムール川のはるか向こうは中国 |
周りは雪と氷というのに水泳とは! |
翌3月29日 朝 ホテルロビーで談笑 この後すぐにシベリア鉄道に |