吹奏(学)部ならぬ吹奏(楽)部でトランペットを吹くために大学に行っていたと言っても過言ではないほど、意識は勉強よりトランペットに向いていた。
おかげで、単位不足で1年ゆっくりせざるを得ない事となったのを機会に1970年、大阪万国博でアルバイトの場を得て貯金をして、翌年に休学して9ヶ月間貧乏旅行を決行。これが初めての海外旅行だった。
出発前に全国紙新聞社4社と旅行雑誌社数社に手紙を書いた。「シベリア経由の世界一周バックパック旅行をするので、旅行記を掲載してもらえませんか?」と。すると新聞社1社と旅行雑誌社、(株)マスレジャー研究所から返事があり、「書いてくれたら載せましょう!」と提案があり、結局旅行雑誌社との話がまとまり連載が決まった。
私はエッセーや小説など何も書いたことがなかったし、話し上手でもなく、話題も持っていなかったので、よくもこんな無茶を売り込んだものだとつくづく思う。
それにも増して、どんな文章が書けるかなんて、何も見ずに旅行雑誌社はよくも採用を決めたものだと思う。当時は海外旅行案内の本や月刊誌などほとんどなかったから、情報不足だったのだろう。
原稿料は400字詰め原稿用紙に1枚1,000円
写真掲載料は無し
連載回数は様子を見ながら........
(株)マスレジャー研究所は海外旅行専門の「海外の旅」と言う月刊誌を発行している東京の会社だ。結局9ヶ月間旅行記を連載紹介していただいた。この会社は今はない。
1971年3月に日本発 ~ シベリア鉄道経由 ~ ヨーロッパ ~ 北アフリカ ~ 中近東 ~ インド ~ 東南アジア ~ 1971年12月帰国
連載記事の題は「足の向くまま」
連載内容 - - -
1971年 9月号 本のとおりのシベリアルート
横浜 ~(船)~ ナホトカ ~(極東鉄道)~ ハバロフスク
1971年10月号 汽車に揺られてソ連を通過
~(シベリア鉄道)~ レニングラード ~(鉄道)~ ヘルシンキ
1971年11月号 ヒッチで白夜の国へ
~(ヒッチハイク)~ ヨーロッパの最北端・ノースケープ目指し
1971年12月号 北国から暖かい南の国へ
~(ユーレイルパスを使って鉄道で)~ スペイン
1972年 1月号 わがイタリア万歳!
イタリアあちこち、ナポリ・リミニ・トリエステ・ベネチア・・・・
1972年 2月号 闘牛場のファンファーレ
スペイン・オランダ・ドイツ
1972年 3月号 パリにパリジェンヌに・・・そしてボク
オーストリア・スイス・パリ・ベルリン
1972年 4月号 スペイン番長 蚤の市に出店
マドリッドのユースホステルで番長を務め、そのあとアフリカへ
1972年 5月号 灯火管制、空港閉鎖、脱出
ギリシャ・トルコ・イラン・戦下のインド・そしてついに帰国
次回は「足の向くまま 第1回」です。
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