2014年7月30日水曜日

カテドラルのあたりをぶらぶら

7月27日(日)

明け方は結構涼しくて、17℃くらいだった。窓の外の道路は坂になっているが、自動車がほとんど通らず、坂道の自動車のエンジンの音を心配していたが、杞憂だった。もっとも、疲れすぎのせいか初めてのベッドのせいか夜中に4度も5度も起きてトイレに行く始末。

朝食は、日曜日とあって遅い。朝9時と言っていたが用意されたのが9:30。部屋に持って来てくれた。

  薄く小さいトーストが2枚、小さなパック入りのバターとイチゴジャム
  ミルクをコップに1杯とインスタントコーヒーの瓶、これでミルクコーヒーを作れ、というわけ。
  これで終わり。



今日はカテドラルの方に向かって歩いてみた。地図も見ずに行ったが、人がゾロゾロと歩いていくのに付いて行くと自然と着いた。家から10分ほどの距離だ。7月8月ともなると日本人の巡礼者(宗教に関係なく巡礼の道をただ歩いただけの人も多いのだろうけど)も何千人といるらしいが、東洋人らしい人さえ見つけるのが難しい。



何もせずに広場の隅で30分ほど観察していると日本人の若者(男性)を2人見つけた。真っ黒に日焼けしていてリュックを担いでいる。巡礼の道を歩いてきたのだろう。





近くにミュージアムなどもあったがどこにも入らずに、2時の昼食に間に合うようにと家路を急いだ。途中『旅物語』の日本人団体ツアーの一行、15人ほどだったかを見かけた。

昼食も僕ひとりで部屋で食べるのかな、と思っていたら、今回は初めてファミリーと一緒。旦那さんと奥さんと僕の3人。相当小さなテーブルにイスは背もたれもない、30cm x 30cm 位の小さな木の椅子。

食事の内容は、
  スパゲッティとソースは紙パックに入った出来合いのもの
  骨付き牛ステーキ
  パンと水
  デザートはメロン

相当質素だ。今までで一番良かった家では、これにスープとサラダとワインが付く。支払う費用はほとんど同じなので、この差はどうなんだろうか? これからすこしはグレードアップしていくんだろうか?

2食付の契約なので夕食は自分で食べる。ファミリーに聞いた場所をうろうろしたが適当なところが見つからない。このファミリーは多分外食をあまりしないので、「お薦めの場所・店」を知らないんだろう。仕方なく、人が一番いそうな店に入ったが、選定失敗。まずい、高い。明日から学校が始まる。先生に聞くのが一番だろう。


家を出てから27時間でサンティアゴ

7月26日(土)

定刻より30分遅れてイスタンブールを離陸。



イスタンブールまでは日本語のアナウンスもあったが、この飛行機にはもう日本語はない。スペインのビルバオに一時寄港。ここで174人乗りの飛行機にほぼ満席だった乗客のほとんどが降りて、この飛行機の最終目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラにまで行く乗客は15人だけになった。

ここで下りる乗客の降機と荷物を下ろすだけなので時間はかからない。15人は機内に残り待機。東洋人らしい女性が2人いた。ミドルの女性に、「東洋の方と見えますが・・・」と英語で話しかけ初めて、ちらっと座席を見るとNHKのテレビスペイン語講座の本が見えた。「あっ、日本人ですね」。

もう一人の若い女性も日本人で、大学生だと言う。どちらもサンティアゴ大学のスペイン語夏期講座の留学生だった。ミドルは4週間、大学生は2週間の予定。僕が行くのはイリア・フラビアと言う語学学校で、彼女たちのとは違う。同じサンティアゴ・デ・コンポステーラなので街中で出会うかもしれない。人口10万人足らずの小さな都市なので。



飛行時間1時間ほどでサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。EUへの入国になるのでいろいろ厳しいかなと思っていたのだが、入国管理はパスポートを一瞥しただけ、税関も何もなしで非常に簡単、2分もかからないで終わった。

あたらしい(そう見えた)綺麗な空港。
乗客が少なかったのでガランとしていた。

 2人の日本人女性とタクシー乗り場で分かれて、一人でタクシーで市内に向かった。タクシー料金は、最初からメーターが「21」を指している。空港から市内まで17km位、高速道路をMax.140km/hの猛スピードで飛ばし15分ほどでホームステイ先前に着いた。市内へはどうも均一料金らしく、それが21ユーロ(3,000円)だったようだ。

ビルの玄関口にある4Lというネームプレートの押しボタンを押すと女性が応答。「日本人の・・・・・」という間もなく「Vale,vale(わかった、わかった)」との返事があってビルのドアを開錠する音がした。エレベーターで4階(日本で言う5階)へ。5階でもエレベーターがない建物もあるそうなので、良かった! さあ、これからホームステイが始まる。

ファミリーは80歳くらいのご主人と75歳くらいの夫人のふたりだけ。スペイン語での初対面の挨拶もままならない。とにかく、「スペイン語はちょっとしか話せませんので」と宣言。綺麗な部屋。専用トイレ・シャワーを注文していなかったがラッキーなことに「ここのトイレ・シャワーはあなた専用です」と言ってくれた。

家を出てから27時間余り、疲れたのでごろんとベッドでひと休み。

シャワーを浴びた後、街中を散歩。あの有名なカテドラルは明日行くことにして、今日は語学学校まで行って見る事にした。ZARAなどの高級店舗がある通りを通って10分も歩くと学校があった。この街は丘の上に出来ているようで、いたるところ坂だらけ。平坦な道路がほとんどないように思う。

夕食は、ホームステイ先には注文していないので普通はないのだが、「今日だけは特別ですよ」と用意してくれて僕の部屋に持って来てくれた。




一人で黙々と食べて、食べ終わったのが夜の9時前。外はまだ明るい。ベッドに横になると眠り込んでしまった。いつ頃暗くなったのか。夜中に何度も起きた。7時半ごろに夜が明けた。

2014年7月29日火曜日

37℃もの灼熱地獄の高槻の家を出発。

7月25日(金)

飛行機の出発予定の丁度2時間前に関空に着いた。チェックインに予想以上に時間がかかり、搭乗ゲート前では大した待ち時間もなく搭乗。ほぼ予定通りの22:30に離陸。

トルコのイスタンブール行き飛行機はエアバス330、満員。座席の前後の間隔がえらく狭く窮屈だ。食事はネットの情報では結構好評のようだ。実際、エビとキューリのサラダ、茄子とピーマンのソテー、白身魚のグリル、ケーキはとてもおいしかった。機内食でそんなに印象に残るのはないのだが、これは結構いけた。



マレーシア航空の事故があったウクライナの少し南側を通過して、13時間かかって無事イスタンブール着。日が変わって、現地時間の26日朝5時30分だ。日本の時刻との差は6時間遅れ。

乗り継ぎの待ち時間3時間少々あり、スペインのビルバオ経由でサンティアゴ・デ・コンポステーラ行きに乗り継ぐ。「乗り継ぎ」の案内に従って進んでいくとあっという手続きは済んだ。乗継便のゲートがまだ決まっていないので決まるまでベンチに座って時間つぶし。

出発予定時刻の1時間半ほど前にやっとゲートが決まって、ゲート前に移動。のどが渇いたので売店で缶入り飲み物を買った。スイカ・ティー。ほのかなスイカの香りが付いた紅茶だ。それにしても値段が高い。3ユーロ(520円)。



先日、友人が経営する「よろず屋」でスイカ入りの飲み物を買ったのを思い出した。これは特価で88円だったかな。

2014年7月24日木曜日

いよいよサンティアゴ・デ・コンポステーラへ

サンティアゴ・デ・コンポステーラでの「スペイン語5週間短期留学」。いよいよ明日25日に出発だ。帰りは9月2日。

35度以上の酷暑の大阪から、8月の平均最高気温25度の現地へ。Tシャツだけでいいとは言えず、いったん片づけた長袖の衣類まで引っ張り出して、衣類の準備中だ。明日は22:30発の飛行機なので、明日一日近くまだ時間がある。

クラス分けのためのテストの回答を今日朝学校に送ったのだが、先ほど学校から連絡があり、僕のクラスが決まった。3名のクラスということで、そのため1単位が45分のところ30分に短縮されるとの事。夏休み中相当混んでいて、10人クラスになるのではないかと恐れていたのだがちょっと拍子抜けだ

一日に受けるレッスンが「45分 x 5」のところ最初の週は「30分 x 5」という事になった。3人1クラスなので「相当濃い」勉強になることになる。居眠りなんかしてる余裕はない。

2014年7月20日日曜日

先生に似顔絵を描いてもらった

高齢者大学校「似顔絵とマンガ風イラストを楽しむ科」

先生がクラスの生徒全員の似顔絵を描いて下さる事になった。ひとりひとり先生の前に座り、先生がサラサラッと描くのを、生徒たちが周りをとり囲み興味深く見入る。

アッという間の「一丁上がり!!」


先日も大阪城公園の中で似顔絵師に描いてもらったが、そうだ!スペインに行ったらどこかで大道似顔絵師を見つけて描いてもらおう ット。

そのスペインに向けて発つのは今週の金曜日。もうすぐだ。明日からいよいよ持って行く荷物の準備を始めよう。

2014年7月3日木曜日

「クロマチックハーモニカ」ってなに? 名演奏をどうぞ!

竹内海人君という大阪出身、今17歳の天才の演奏。これは2年前の2012年当時15歳、第32回FIHジャパンハーモニカコンテストジャズ、­ポップス部門で優勝した時に演奏した曲。(コンテスト時の演奏ではない)。たぶん「世界一」目前だろう。



(ネットの大阪日日新聞の記事から転載)

エル・クンバンチェロ。4分32秒。

もう1曲。クロマチックハーモニカによる熊蜂の飛行のデュエットです。4分13秒。

ハーモニカで普通よく知られているのは、穴が上下に2つづつ並んでいる。僕が小・中学生の頃はこれしかないと思っていた。曲を吹いていくと、その曲にならないことがよくあった。つまり半音が出ないからだ。つまり、♯や♭が付いた曲だとこのハーモニカでは吹けない。そこで出て来たのが「クロマチックハーモニカ」。楽器の右の方に付いているレバーを押すと半音高い音がでる。

当然僕が生まれるころにはもうクロマチックハーモニカは存在していた。高校生の頃だったか、大学生の頃だったか忘れたが、日本製のこれを1本買った。5,000円くらいだったと思う。練習方法も分からず、そのうち物入れの片隅に忘れ去られ、今やそれがどこにあるかもわからない。もう50年も前のものだから、出て来たとしても錆で使えないだろう。

いま練習しているのは、もちろん新しく買ったもので、ドイツの有名メーカー製。この分野では一流のもので、3万円くらいのもの。もっとも、品質管理は結構いい加減らしい。当たりはずれがある(そうだ)。メーカーの言い訳は、「マイスターが一つ一つ手作りで作っているんでね」という事らしい。

この言い方、良し悪しどちらとも取れるが、「言い訳」だからこの場合は、悪い方。「ハンドメイドなんだから、ちょっとくらいの手元の狂いなんかはあるよ。品質のばらつきは我慢してね」という事。こんなのは多分日本では許されない。日本のメーカー、頑張れ!

2014年7月2日水曜日

大阪府高齢者大学校にもクラブ活動がある

似顔絵
社交ダンス
南京玉スダレ
音楽を楽しむ
マジック
オカリナ
落語
フラダンス
パソコン

などと多彩。この学校に来ている人は皆、前向きで元気だ。

もちろん、僕も若い頃の学校時代にはクラブ活動をしていたが、この歳になって大学校で再び「クラブ活動」が出来るなんて思ってもいなかった。活動するのは登校日、毎週水曜日の午後3時から5時までの2時間だけ。

さっそく、勉強してる科目と重複してる「似顔絵クラブ」に入ったんだが、毎回先生に指導していただける訳ではないのでそういう日には別のクラブ活動をしてもいいのではないかと思って、「カラオケクラブ」も覗いて見る事にした。

ヒドイ音痴、と自覚しているので、先生がいて歌唱法を指導してくれる人がいなくては意味がない。幸いなことに、先生に付いて習っている人が先生役になって教えてくれるようだ。

僕のクラスメートと一緒に覗きに行ったのだが、今日の出席者は僕達を入れて5人。活動場は学校近くのカラオケ屋さん。

レパートリーなど何もないので、取敢えず三橋美智也の「哀愁列車」を歌った。何年も、と言うか10年も20年も歌ったことが無いかも知れない。ワンコーラス終わってわかった。結構難しい歌だ。――――歌えない。音の高さがわからない。ボロボロだった。

採点が出た。94点、という。これだけの高得点はめったに出るものではありませんよ、と生徒さんたちの驚嘆の声。これでカラオケの採点機能がでたらめだというのを実感した。何度もよく曲を聞いて覚えなさいよ、と言うのが先生の「ご指導」。

次にカラオケクラブに出席できるのは多分2週間ほど先だから、10回くらいは聞いておこう。