2011年10月30日日曜日

TOEICテスト、撃沈、いや自沈!

今日がいよいよTOEICテスト当日。
Test Of English for International Communication

初めての事とて、少し早く家を出て、試験場所の関西大学キャンパスに11:30の受付開始の10分前に着いた。



まだ受験生はそう多くはなく、受付が始まったときでも受付に並ぶことなくスムーズに事は進んだ。 電車の駅を出て大学に行く道筋にコンビニがあり、昼ごはん用にサンドイッチと「試験結果の前祝い」を兼ねて赤飯おにぎりを買っておいた。

試験会場の教室は3人掛けの机が7×14に配列されており、各机に2人づつ座る。前列の1列はすべて空席なので、7×13×2=182。 10人ほどの欠席があったので受験者は170ほどか。

ざっと見ると、男6に女4くらいの割り合い。僕は64歳だが、見たところ僕が最年長の感じ。同年代の人は男性がひとりおられたかな。ほとんどは学生かそれより少し上の年代。

置かれていた解答用紙に氏名や受験番号やアンケートなどに答えるマークをしていると、20分ほどがあっという間に過ぎてしまった。受験の説明の時刻まで、あまりない。受験会場の教室をでて、廊下の隅に座り込んで、コンビニで買ったサンドイッチと赤飯おにぎりを急いで食べた。

廊下は今磨いたばかりのようにピカピカ光っている。そういえば、試験会場の5階までエレベーターで登ってきたが、よくあるビルのエレベーターの3倍ほどもあるかと思われる大きなもので立派。トイレもホテルのトイレのようにきれいだった。私立大学もこれまでは学生数の増加で、大きくきれいになってきたが、受験生が減少しつつあるこれからの時代、色んなものを維持するのは大変だろうな、と思った次第。

説明が始まった。正面左右には三脚に据え付けられた特別のスピーカー。YAMAHA製。スピーカーの音が問題なく聞こえるかを受験生に確認。問題用紙を配布。携帯電話はOFFになっていることを一台一台確認。

会場では飲食は禁止だが、目薬と風邪の為ののど飴使用の要望が受験生から出され、「許可する」旨のお達しが出された。


女性5人の係員が見守る中、13:00にテストが始まった。リスニング部門が47分(受験参考書には45分と書いてあったが今回は特別?)、リーディング部門が75分の計122分。途中の休憩はない。

リスニングの問題が順調に進む。何が「順調」、といって、僕の回答が順調じゃなくて、スピーカーから問題が順調に流れてくるだけだが。パートが1から4まで。まあ、そこそこに進んで、30分ほど経つと、頭が疲れてきた。

「試験」と名のつくものは大学の講義の試験以来受けていないから、ほぼ40年ぶり。集中力が続かない。ぼーっとしてきた。スピーカーから流れる英語が、モダンジャズ・ソングの歌詞を聴くかの如く、頭の中を通り過ぎていく。10問ほどこんな調子で、一休みしたあと、気を取り直して再び問題に集中した。

リスニングの47分が終わり、次のリーディングの75分が始まった。パートが5と6と7の3つ。これもはじめは順調だった。受験参考書にはパート5と6を20分でやり終えなさい、と書いてあったが35分もかかってしまった。とりあえず回答したが、そのあと問題用紙に長文の英文が続く。またまた頭が疲れてきた。集中力が切れてしまった。

試験時間の残りが30分あまりになった頃、頭はパニック状態。まだ40問以上残ってる。参った!、降参!。アルファベットをデザイン化したプリント柄のハンカチを目の前に拡げて見とれるが如く、ぼやーっと問題文を見ているうちに残りの時間が過ぎていった。

試験を受ける際の説明では、(わからなくても)最後の問題まで解答欄にマークするように、とのことだった。最後の最後の2、3分は鉛筆を転がしてマークする要領で、40問以上をでたらめにマークした。

最後に予想得点の計算。
150問は一応考えた上の答。正答率を60%として90問「当たり」。
50問は4者択一のため4分の1が“まぐれ”で正解だったとして、20問「当たり」。
200問中合計110問出来たとすれば、990点満点なので僕の点数は『550点』。

こんな単純計算ではいけないのかな?
30日以内に協会からテスト結果を「公式認定証」の形で郵送されてくるらしい。受け取ったら、このブログで公開(なぜか、この書き込みの際、文字変換で「後悔」なんてのが先に出た。結果を暗示してるのかな?)します。

11月21日記 予想得点の修正

テスト当日に、帰宅後ブログを書いてその中で上のように計算したが、“まぐれで正解”の部分の計算が間違っていて、正しくは次のようになる。

150問は一応考えた上の答。正答率を60%として90問「当たり」。
50問は4者択一のため4分の1が“まぐれ”で正解だったとして、12.5問「当たり」。
200問中合計102.5問出来たとすれば、990点満点なので僕の点数は『510点』。
 

2011年10月11日火曜日

アーモンドとリンゴと自然薯


狭い狭い前庭と3階のベランダにプランターを置いて、花・野菜・果樹を楽しんでいる。

今年の夏は以上に暑かったせいか、花・野菜・果樹、みんな生育が異常だった。

我が家自慢のアーモンドの花は、例年通り咲いたが、水不足のせいか8月には葉が落ち始め、枯れる枝も出てきた。 今までなら実が300個とか400個出来ていたのが、今年は150個ほどだった。
 
この固い殻の中におなじみのアーモンドの実が入っている。
実の簡単な取り出し方をご存知の方がおられましたらお教えください。
10月の初めには2輪だけだが、アーモンドの花が咲いた。 狂い咲き、というものだ。 狂い咲きと言えば、姫リンゴも同じ頃1輪だけ咲いた。

アーモンドの狂い咲き2輪

姫リンゴの狂い咲き1輪

富士リンゴの木もあるが、ここ数年実がほとんどつかない。今年など花が1輪も咲かなかった。剪定がまずいのか、芯くい虫にやられたせいか。20年ほど経った立派な木で、残念ではあるが根元から切ってしまうことにした。根元から別の新しい芽が出て来ているのでそれを伸ばして見ることにする。

虫に食われたリンゴの木。根元から切ってしまった。
実が出来るまで何年もかかるのだろうか。

前庭と3階のベランダのプランター、計5個では自然薯を栽培している。地中のイモもさることながら、茎にたくさん出来る、季節を感じるムカゴも収穫ができる。


今年は3kgばかり採れた。採るのが結構面倒だ。、昨年は洗面器で受けて採ったのを今年はプラスチック製の小さな箕(み、みの)で受けた。だいぶ能率が良くなったがそれでも1/3か1/4くらいは落ちてしまう。来年は地面にビニールシートでも広げて収穫することにしようか。

2011年10月7日金曜日

48年ぶりの中学校同窓会を計画

といっても、どうやら一部の同窓生にとっては、そうではないらしいことがわかった。20年ほど前に一度、15年ほど前に一度、中学校のある地域周辺に住む人が中心の同窓会をやっていたらしい。

毎年、年賀状で挨拶をしている恩師に「今年こそは何とか同窓会を」とアドバルーンを揚げていて、ずっと果たせていなかった。

同窓生が60歳、還暦になる年を目標に考えていたのだが、仕事が忙しく気持ちに余裕がなかったので行動をスタートできなかった。そうこうしている内に、3年前に仲の良かった同窓生が突然亡くなり、身内にも不幸が続いた。いつまでも開催を遅らせるわけにはいかないと感じ始めた。

昨年4月に仕事をやめて1年、今年4月にいよいよ行動開始。クラス全体の同窓会の企画を始めた。中学を卒業したその年の8月第1回同窓会を開いて以来、48年ぶりとなる。

住所録の整理をしなければならない。先ずは中学校へ行って、おられた教頭先生に話をお聞きした。最近は全校の同窓会はやっておらず、プライバシー保護の観点から住所録などの名簿を作ることもやっていないので、僕たち、50年近く前の同窓生の情報はおろか最近の卒業生のも全くない、とのこと。

左は小学校の、右は中学校の卒業アルバム
小学校の同窓会は一度もやっていない。

僕たちは1963年卒業。その頃はまだプライバシー保護、などとうるさい事を言わなかったので卒業生住所録はあったが、31年前の1980年に中学校の校区の住所がすべて住居表示変更されていて、前の住所では郵便物がすべて届かない状況になっている。

役所に行って新住居表示調べをした。同じ苗字の人がまだそこに住んでいる事もあれば、全く別名になっていたり、マンションが建っていて旧住所が消えていたりしているのもあったりした。

1軒1軒、ハイキングのつもりで歩いて回り、ちょっと遠くは車で。思いがけず本人に出会えたり、ご家族に話を聞けたり。卒業以来ずっと連絡を取り合って、食事会をしたり旅行をしたりしているグループもあった。そんな中で聞いたのが、文頭に書いた、ご近所さんだけで同窓会を2回開いていた、というニュースだった。

15年前の一部の住所録でもあれば、とその時の参加者に聞いたが残念ながら紛失してしまっていた。パソコンもそんなに普及していないときのこと、紙の住所録ではどこに行ってしまったかわからないこともあるだろう。

みんなの協力もあって、4月に調査を開始してから5ヶ月たった9月には、クラス50人のうち24人に連絡が取れた。残念なことに5人が亡くなっていた。

同窓会の開催を10月23日と決め、みんなに通知した。どれだけの人が集まってくれるのだろうか。

2011年10月6日木曜日

ハーモニカ教室スタート

今日はクロマチックハーモニカ初日だった。

先生推薦のドイツ製のハーモニカを先生から購入。 Hohner社製。裏に「徳永」の押印がしてある。徳永延生さんということらしい。徳永さんはこの業界では第一人者で、世界的にも有名だそうだ。この先生が、輸入されたハーモニカの1本1本をチェックして、さらに教室の先生が調整してやっと僕の手元に届いたものだそうだ。


テキストも徳永さんが書いたもの。楽譜を読めない人でもわかるように、「ド」 は「5」 などと数字でも書いてある。


生徒は僕の年代の男性ばかり。僕を入れて5人。

まずはハーモニカの持ち方からスタート。そして、簡単なドレミのスケールのような8小節の曲を2つばかりやって終った。今日のところはそんなに難しくはない。ただ、15cmの幅の間に16個の穴があって、口をうまく「すぼめない」と隣の穴の音が出てしまう。1つの穴の幅が1cm足らずだからまずはこれの練習だ。