2016年2月23日火曜日

寒い風呂の話

冬、何年も前から家の風呂が寒いと思っていた。真冬にはあまりにも寒く、タイル張りの壁や床に60℃の湯を2分ほどかけて空気を暖めてから入る。脱衣所ももちろん寒く、ガスストーブを点ける。
 
昨年11月に軽い脳梗塞をやった。それを機会に温かいユニットバスにリフォームする事にした。脱衣所と風呂場の両方を一気にリフォームするので、工事期間は4日間とちょっと長め。この間はもちろん風呂は使えないので、外湯を利用する事になる。

高槻市には天然温泉が3か所(?)ある。少し山の方に行った摂津峡の中ともう一つはさらにその奥の樫田、そして市内中心部の商店街の中にある比較的最近にボーリングで掘り当てて開業したものだ。高槻市に住んで40年ほど。どの温泉にも入った事がない。

この中の一つ、摂津峡「花の里温泉」と言うのに行ってきた。スーパー銭湯の部類に入るものだろうか。「美人の湯」といううたい文句が付いた湯は肌にツルツルで気持ちが良い。長湯してしまった。

さて、リフォームが完工したのが2月18日(木)。初日、初入湯。脱衣所、風呂場とも暖房付なので寒さから解放された。以前とはすっかり変わったので、未だちょっと落ち着かない。

いずれにしても、シニア世代は風呂場の寒暖差で脳卒中や心臓発作を起こす事が多い。その危険性が少し軽減される事になった。

2016年2月21日日曜日

スキーを楽しめるほどになってきた2日目

2月9日(火) あいにくの雪もよう。朝から降り始め、風もだんだん強くなっていく。リフトの上では、手の先がかじかみ、顔が凍てつく。
動く歩道の様なのがあった

スキーもだいぶ思い出し、レッスン内容も何となく理解できるようになってきた。午後にはビデオ撮影があり、夜にそれを見て一言アドバイスがあるという。撮影時には、少しスキーが引っ掛かり危うくこけそうになったが何とか終了。
ビデオ撮影のため順番を待つスクール生

そのビデオがこちら。
私のゼッケンナンバーは「75」。このビデオの 6分20秒 くらいからと 13分50秒 くらいからの2回録画されている。
何とへっぴり腰で、姿勢が悪いことか。ビデオ撮影で相当コチコチに固まっていたようだ。こんなところにも「あがり症」の影響が出ている。

もちろん上手なクラスの1班や2斑のビデオもアップされているので、それは http://www.club-nesco.jp/movie/12.html で見ることができる。



午後3時には全てのレッスンが終了して、夕飯までフリースキー。あまりにも寒いのでほんの少し滑って切り上げた。

夕飯後、食堂でワンポイントレッスンとビデオを見ながらの講評。自分の滑りも見たが、まあこんなものだ。

ホテルの大風呂は露天風呂しかない。超寒い。この風呂はシニアの体には悪い。旅行主催の会社へのアンケートとホテルのアンケートに、「スキー場の風呂に寒い露天しかないのは大問題。特にシニア世代には健康上不適」と記入。

2月10日(水) 最終日。先日から降っていた雪は止まず、朝になっても降り続けている。午後1時のバス出発まではフリー。

20年前のスキーファッション、健在

雪が降り風も吹く中、せっかく思い出したスキーだからと、2時間ほど滑り楽しんだ。ひとりっきりで滑った時間もあったのだが、これは面白くない。何やかやと言いながらのスキーだから楽しい、と言う事を再実感。

11年前のスキーとの比較考察;

  1.頭を保護するためにヘルメットを装着している人が多かった。
    見たところ80%以上かもしれない。
  2.ボードが多くなったと言うがそれほどでもない。
  3.スキーウェアは生地の防寒性能が良くなったせいか軽快に見える。
  4.混雑なし。リフト待ちなし。ただ、ウィークデイだったからか。
  5.スキーはかなり短くなった。
    曲がりやすいかどうかは、僕の場合はまだ実感できなかった。

楽しかった!

予定通り午後1時に現地を出発、新大阪に9時に着いた。わずかな交通渋滞もあったが8時間かかった。遠い。

2016年2月20日土曜日

久々のスキー、スキーバス出発

2月7日(日) 当日。ツアーバスの始発は大阪だが僕は京都から乗った。バスは超満員。

              参加者                  44人
              スタッフ(コーチ)     3人
              運転手                   1人
              バスガイド              1人 の計49人。

バスに乗らずに現地に直接行くスクール参加者が8人いて生徒は合計52人。男女の内訳は男29人と女23人。このうち夫婦は2組。友達同士で参加した人もいるかもしれないが、夫婦以外はすべて1人参加。

目指す山は志賀高原スキー場。バスが京都を出発したのが朝10時ちょうど。渋滞もなく順調に走り、ホテルに到着したのが夕方5時半。7時間半かかった。長野は遠い。


 

ホテルの部屋は夫婦以外は、男女別の相部屋。

2月8日(月) 晴れ。絶好のスキー日和。最新のスキーを履いて、11年前のウェア(たぶん10年間ぐらいは使ったであろうと思われるので、20ほど前のファッション)で身を包みゲレンデに出た。

こんな青空を前に日本で見たのは、いつのことだったか?
「スキースクール」だからレッスンがある。午前2時間、午後2時間のグループレッスン。レベルを自己申告し、それに基づき52人が6班に分かれた。僕の班は上から4番目のレベルで、男3人女8人の11人。

体操の後、早速リフトに乗り初すべり。皆さん、うまい。どうもレベルを過少申告しているみたい。僕だけが “見栄を張って” 過大申告したようで、レベルが違う。

11年ぶりでも意外と滑れるが、昔の長いスキーと今の短い「カービングスキー」の滑りの違いなどほとんど分からない。午前2時間、午後2時間の先生の詰め込みレッスンも「(実践することなく)聞くだけ」だ。「滑り方を思い出す」作業で精いっぱいだから。




雲ひとつない青空だが、景色を楽しむ余裕もない。3時から夕飯までは自由時間で、自由にスキーできる時間はたっぷりあったのだが、体が持たない。1日目はこれで終わりだ。

同室の2人と歓談。僕68歳、ひとりは69歳、そしてもうひとりは73歳。スキーツアーの参加者全体の平均は僕くらいか。結構リピーターが多い。初参加者は10人もいないようだった。

このツアー、「半分苦痛、半分楽しみ」と同室の73歳の先輩の弁。言い得て妙!
 

2016年2月19日金曜日

11年ぶりにスキーをしようとツアー申込

スキーを初めてしたのは僕が高校生の時。それ以来ほとんど毎冬スキーに出かけた、結婚してからは家族も一緒に。

40年ほど続いたが、妻がほかのスキーヤーにぶつかられて足を痛めたのをきっかけに行かなくなった。それが2005年。それ以来、何度かスキーに行きたくなる事もあったのだが実現することなく11年が過ぎた。

そしてやっと今年、「毎日シニアスキースクール」の新聞広告を見て1人で参加する事を決意。早速2週間先のツアーを申し込む為に電話したら「キャンセル待ち」との事。

「何人くらいのキャンセル待ちですか?」
  「キャンセル待ち、おひとり目です。」
「じゃ、参加できる可能性は高いですね! 全体で何人ぐらいのツアーですか?」
  「バス満杯で50人近くです。」
 
待つ事10日。「キャンセルが出ましたので・・・・・」と電話があって、晴れて(?)参加できる事になった。予定は2月7日~10日の3泊4日、長野・志賀高原。

11年前からスキー道具は進化していて、「カービングスキー」と言う曲がりやすいのが主流と言う。もちろんそんなのは持っていないので、スキー道具一式はレンタル。ウェア一式は、11年前のものを物入れから出してきてチェックしたが使えなくもないようなので、それらを持って行くことにした。

毎年ウェアを買い替えると言うファッション重視の知り合いもいたが、僕はなんでもいい。このウェアも多分10年ぐらいは着たものだから、20年前のファッションだ。

「ウェアファッションよりもスキーテクニックなんて、言えればいいんだけど・・・・・

2016年1月26日火曜日

グアテマラ人とスペイン語会話のレッスン

僕が日本でやっているスペイン語の勉強は、だいたい次のようなものだ。


 毎週1回(月4回くらい)各90分: 文章読解文法作文

   生徒は全部で7人。
   日本人先生。
   始めたのが2010年6月。

 月2回各90分: 会話
   生徒は全部で6人。
   スペイン人先生。
   始めたのが2012年11月。

 スペイン留学:  2011年、2013年、2014年の3回。
 
Youは何しに日本へ」というTV番組がある。関西では月曜日の夜、早い時間にやっている。好きな番組のひとつだ。成田や関空などで、日本に来た外国人を捕まえてインタビューしている。来日の目的は、仕事、観光旅行、趣味、などいろいろ。日本語が上手な人が多いのには驚かされる。そういう人へのインタビューの映像をたくさん流しているのかもしれないが。そしてもうひとつ驚くのは、たくさんの人が短期間の間にかなりのレベルで日本語をしゃべれるようになっているという事。

それに比べて僕のスペイン語が、5年半もやっているのに「この程度」と言うのは悲しい、自分に腹が立つ。かけた時間と質の差か?

何とかしようと、今までやった事の無いSKYPEレッスンをやってみる事にした。

まず、50分間の体験レッスンを受けてみた。相手は中央アメリカのグアテマラ人女性。勝手が分からないし、何を話したらよいかわからないし。ビビるし、アガる。

スペイン語のSKYPEレッスンになぜグアテマラ人が多いかと言うと、レッスン料が安いのとグアテマラのスペイン語がスペイン本国のスペイン語に近いから。グアテマラとの時差の関係で、日本時間の夜遅くか朝早くしか出来ないのはちょっと難儀だ。

とにかく、何事も始めてみないと分からない、と言う訳で本番レッスンスタート。1ヶ月の間に好きな時に12回各50分のレッスンしてもらうコースを契約。昨日で半分の6回を経験した。だんだんビビリアガリも少なくなってきたが、成果を期待するのはこれからだ。
 

2016年1月24日日曜日

ボウリングで5投連続ガターの新記録

ボウリングなど大して運動にもならない、と思っていたのだがやってみると違う。1ゲームやった後には、この寒い時期にもうっすらと汗をかく。シニアにとっては負担も軽く結構良い運動になる、と言う事も聞いた。

そこで昨年8月からボウリングを週1のペースでやり始めた。このところは毎回3ゲーム。3ゲームの運動量は?と言うと、ある「ボウリングおすすめ」ネットサイトによると、

 散歩                   80分
 バレーボール      60分
 ラジオ体操          50分
 野球                   45分
 テニス                20分

と同等と言う。

僕の運動神経は、と言うと、正直 まばら。瞬発力は結構あるのだが、持久力はさっぱり。球技の器用さは、と言うと、まあまあで良くも悪くもない程度。

やり始めて2ヶ月目には「174」なんて僕にしては結構良いスコアが出たので、眼の前に「200」が待っていると思っていた。ところが11月にやってしまった「ラクナ梗塞」のせいにする訳ではないが、今のところ目標はどんどん遠ざかっている。

そして先週にはついにすごい記録をやってしまった。こんなのは今までで初めて。ゲームの最初から「5連続ガター」。


ガターではほろ苦い思い出がある。若かりしサラリーマンの頃、男女のグループでボウリングをやりに行って、チームを組んでの対抗戦。僕の最後の1投の時、チームメイトの女性に「1本倒せば私達が優勝やね、楽勝楽勝!」なんて声を掛けられて僕もその気でいたのに、投げてみれば「溝掘り」。
 
それがトラウマになっていたのか、今回の「大珍記録」。トラウマの上塗りになりそうだ。
 

2015年12月30日水曜日

初めての脳梗塞で初めての入院


11月18日に「初めての○○」と題して「初めての松葉づえ」の事について書いたが今回はその第2弾!! ・・・というか、「初めての脳梗塞で初めての入院」の方が先に起こった出来事だったんだが。
 
11月5日(木) 淀川の河川敷でテニスの一人練習。いつもの通りビール付き夕食を摂った後、うたた寝。眼が覚めたのでいつもの腹筋運動をしようと体を起しかけた途端 左の手の平に “しびれ” を感じた。10分ほどで治まった。
 
11月8日(日) 午後3時50分 浜松へのバスツアーでの帰り道、トイレ休憩の為にサービスエリアに入った。うたた寝から覚めて立ち上がろうとした時に 左の唇・ほお・手の平に “しびれ” 。今回は1分ほどで治まった。同行していた妻の意見もあり、大阪に帰ったらすぐに医者に診てもらう事にして取りあえず帰宅の旅程を続行。
 
同日 午後8時42分 阪急電車の高槻市駅に帰ってきた時点で駅から#7119に電話。この電話番号は救急車を呼ぶかどうかをひとまず相談する為のもの。看護師さんが応対してくれて、症状を説明すると救急患者を受け容れてくれる病院を2院紹介してくれた。整形外科医と脳神経外科・内科医が当直している病院だ。しびれが整形外科的なものなら緊急性はない。脳神経的なものなら緊急を要する。両院に電話して、脳神経内科医が当直している方、みどりヶ丘病院に行くことにした。
 
同日 午後10時前 いったん家に帰り、万が一「入院しなさい」と言われた時に備えパジャマなどを持ってマイカーで病院に到着。症状を説明するとすぐにMRI室に。
 
同日 午後10時半ごろ MRI画像を診断。脳の視床下部のあたりに脳梗塞の痕跡らしきものが見えるが、しびれの症状が出てから7時間近くも経っているので、この画像だけでは断定できない。ただ、しびれの部位と症状だけからすると毛細血管が詰まる「ラクナ梗塞」が疑われる、との事。僕としては、5日のしびれは昼の運動のせい、8日のしびれはその日一日立ちっ放しで腰痛を起こしていたのでその影響、と思いたかったのだが・・・

「入院してもう少し調べてみますか?それとも帰りますか?」と先生が聞いてきた。「もし僕があなた(医者)のお父さんだったとしたら、どう言いますか?」と逆に聞き返した。その答えは「入院!」――という事で入院決定。
 
11月9日(月) 朝 脳神経外科の担当医が決定。再度MRI 撮影。「ラクナ梗塞」の診断確定。首や腰の神経系統の異常では、手足のしびれは考えられるが唇やほおのしびれは考えられない、との事。経過が良ければ、すなわち症状が再発しなければ1週間後に退院も可能だとの事で治療開始。
 
11月8日(日)~14日(土)、7日間の 入院生活はこんな感じだ。

  0600 起床
  0800 朝食、錠剤2個摂取
  0900 午前の点滴開始(血液をサラサラにする)、約2時間
  1200 昼食
  1500 午後の点滴開始
  1800 夕食
  2100 消灯
 
毎日欠かさず飲んでいたビールはもちろんない。珈琲もない。おやつもない。食事は1日1800kcal。健康そのもの。

テレビはOKだが、じっとしていては体がなまる。途中から、体操や階段の上り下りを始めた。階段は1階から5階までで、全部で110段。それを5往復して計550段。そこそこの運動量だ。
 
11月14日(土) 午前10時 無事退院。入院中の梗塞再発はなかったが、手の平と唇とほおの極く僅かなしびれの様なものが3、4回感じることがあった。それ以外の後遺症は何もない。不幸中の幸いだった。

脳梗塞の原因はいろいろ。僕の場合は、糖尿、コレステロール値、高血圧、飲酒量などが従来から少しずつ高い。食事内容、運動、ビールの量を若干調整する必要がありそうだ。

処方された薬は血糖値を下げる薬、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬の3種。それに加えてビールの量を中瓶1本(500ml)までに指定された。