2013年6月15日土曜日

パリの観光客相手の犯罪と予防法 (その1 スリ)

16日間の「暮らすように旅するパリ」を完結、パリを想い出しながらのお話・・・

パリは、とにかく犯罪が多いと聞く。街を歩く人の大半は観光客じゃないかと思うくらいの観光都市だ。だから観光客相手の犯罪が多い。

僕が実際に遭遇しただけでもいくつもある。実際に被害にあったり、他人が被害にあっている現場に遭遇したわけではない。悲鳴を聞いたこともなければ、走り逃げている「悪人」を見たわけでもない。

何年か前のネット記事を見ると、パリは怖くてとても観光に行ける街ではない、と思わされるくらいだ。でも、その時からは少しは改善されているのだろう。地下鉄には防犯カメラがたくさん設置され、街中には結構「POLICE」の姿も見る。その効果が出てきているのであろう。
 
エッフェル塔の下を巡回するPOLICE

 
それでも、僕が経験し、あるいは見たのだけでもこれだけある。
1.スリ  2.拾ってあげたふり  3.三択手品いかさま師  4.ヒモがほどけない  5.署名

1.スリ

場所: オペラ座近くの地下鉄アーブル・クマルタン駅の改札口。10歳前後のロマ系人(?)の風貌の娘。

この時の様子は、僕のブログの
に詳しく書いてある。

とにかく、スリは多いようで、いくつかの地下鉄の駅では日本語ドイツ語などでも注意を呼び掛けている。

(スリ対策1) 歩いている途中ではスルのも難しいので、一瞬でも立ち止まった時が一番危ない。
 

エスカレーター: すぐ後ろにくっつくようにする人は要注意。上の(対策1)で書いたように、立ち止まった一瞬が危ない。他人と離れてエスカレーターに乗り込むこと。エスカレーターに乗ったら、前を向かず手すりを背中にして、後ろの人の動きに注意!


改札口: 僕がやられそうになった場所。


地下鉄内: 人と接触しながら乗降するときが危険。乗ったあとは、出来るだけすいているところに移動する。座っている時は寝ないこと。


美術館: 「押し合いへし合い」という事はあまりないが、他人と身体的な接触が避けられないような混雑の時は、絵を見るより自分のバッグを見ること。モナリザの前やミロのビーナスの付近には「スリ注意」の注意書きが一杯だ。
 
モナリザの絵の左右にあるのが「スリ注意」の掲示

エレベーター: 超危険。エッフェル塔に登るエレベーター内にも「スリ注意」とフランス語とスペイン語で張り紙がしてあった。スリ集団のグループに囲まれてしまったらお手上げ。大声を出すしかないか。エレベーターから降りても、エッフェル塔上は大混雑。ここもスリの狙い場だ。
 

「PICKPOCKET」(スリ)に注意と書いてある。
(スリ対策2) お金、カード、財布、携帯、カメラ、キーなどはひもでバッグかベルトなどにくくり付ける。仕舞い込むのも、最低2度チャックを開けないと取り出せないところに入れる。

(スリ対策3) バッグは当然肩からたすき掛け。体の前に持ち、常に手を添えておく。オーバーコートなどでバッグを完全に隠してしまうのもよい。ただしそれでも、私の妻が、パリではないがチェコの電車内で数人の男に取り囲まれバッグのファスナーを開けられた。すぐ気が付いて大声を出したので被害はなかったが。

(スリ対策4) パスポートなどの超貴重品は、下着の下に持った貴重品袋に入れる。

(スリ対策5) 向こうから声をかけて来る人には要注意。その上片言の日本語や英語で親しそうに声をかけてくるのはもっと注意。


(スリ対策6) スキを見せないのが大事。常に周りの人の動きに注意する。

 
パリの観光客相手の犯罪と予防法 (その2 そのほかの手口) に続く。

2013年6月14日金曜日

パリ万歩計 まとめ

16日間の「暮らすように旅するパリ」を完結、パリを想い出しながらのお話・・・

暑い。我が家は朝から32℃もある。

パリは、日中でも25℃を超えることはなかったし、寒い日は15℃とか18℃という事もあったので、体調管理が大事だ。

「パリ日記」は思い出しながら書き足したり、写真を入れていない部分もあるのでぼちぼちとすることにして、「パリ万歩計」のまとめだけはしておこう。

5月29日 スイ 5,027 イエ → 成田ナリタ) サン・マルタン運河
5月30日 17,212 JCBプラザ→ローラン・ギャロス→オペラ→ロダン美術館ビジュツカン→オルセー美術館ビジュツカン
5月31日 20,953 シテトウ
6月1日 24,670 ベルサイユ宮殿キュウデン
6月2日 12,921 ノミイチぶらぶら → 教会キョウカイ
6月3日 15,338 ルーブル美術館→ビジュツカンやや  ポンピドゥー・センター→シャンゼリゼトオり→凱旋門ガイセンモン
6月4日 13,608 ノートルダム大聖堂ダイセイドウ → オルセー美術館ビジュツカン
6月5日 12,575 モン・サン・ミッシェル
6月6日 10,864 モン・サン・ミッシェル
6月7日 16,349 オペラ座周辺 → モンマルトル
6月8日 14,932 ジヴェルニー(モネのニワ
6月9日 16,032 16のギマール建築ケンチク → シャンゼリゼ
6月10日 13,466 パッサージュ2カショ → エッフェルトウ → セーヌカワ遊覧ユウランフネ
6月11日 11,256 モンソー公園、シャンソン「オ・ラパン・アジル」
6月12日 9,209 サン・ラザールエキ → 帰国キコク
6月13日 4,211 成田ナリタ → イエ

5月30日~6月12日(14日間)の平均歩数: 14,956歩

とにかく、よく歩いた。歩く目的で歩いたわけではないから、ぶらぶらの歩数も沢山ある。階段もある。

2013年6月13日木曜日

「暮らすように旅するパリ」---完結

6月13日(木): 16日間の暮らすように旅するパリ」---第16日目

2013年6月13日・記

「パリ生活」最終日。借りたアパルトマンは15:00までの契約。

朝から帰国の荷物を準備した。

そして先日、モネの里ジヴェルニーに行く時にすごい混雑で切符を買うのに手間取り、予定の列車に乗れなかった、という経験をしたサン・ラザール駅に、もう一度行った。混雑の具合を写真に撮るためだった。しかし、あの混雑の日は土曜日。木曜日の今日はガラガラだった。


 

ぶらぶらと街の様子を見ながらアパルトマン近くまで帰り、近くのカフェでパリ最後の昼食。
 

 

リブステーキ350g(骨なし)   21.90ユーロ(2,900円)
パスタの上にサーモン・ステーキ16.50ユーロ(2,200円) 
白ワイン 150ml          7   ユーロ  (910円)
 
15:00丁度にアパルトマンを出た。これでパリの生活は終わった。
取敢えず事故もなく、ホッとした。

近くのタクシー乗り場から「RER北駅」を目指す。タクシーの運転手は「空港まで乗ってくれ、北駅方面は交通渋滞で大変だから」と言うようなことを言う(言った気がしただけか?)がこちらはきっぱりと「Non.」。北駅までだと15ユーロ(2,000円)で済むが、空港までタクシーで行くとなると70ユーロも80ユーロ(9,100~10,400円)もかかる。
無事北駅に着いて、またホッ。

北駅の有人切符売り場で空港行きの切符を買った。一人9.50ユーロ(1,200円)。


プラットホームを聞くと「43番」と言う。そんなにホームがたくさんあるのかと驚いた。北駅からノンストップで25分ほどで空港に着いた。飛行機の離陸予定の4時間近く前、余裕の行程だ。

空港内の有名マカロン店で、1個1.9ユーロ(250円)もする
のを「おやつ」に買った。直径は5、6cmしかない。高~い!
 
あとは飛行機に乗るだけ、リラックスして、ホッ。

飛行機が離陸してから11時間少し、成田着陸まで順調。
終わってみるとアッという間だったな、、ホッ。

成田から伊丹、伊丹から自宅へ。
 16日間の暮らすように旅するパリ」旅行、完結。ばんざーい。
 


2013年6月12日水曜日

いよいよ、「パリ生活」も最後の日


6月12日(水): 16日間の暮らすように旅するパリ」---第15日目

2013年6月12日・記

テレビではパリ名物のストをやっているような映像が流れている。

泊まっているアパルトマンを運営する「パリ生活社」のパリ事務所に電話した。飛行機は大丈夫? 昨日のテレビでは国鉄もやっているようにみえるんだけど?
 


 
確認してもらった、飛行機はエア・フランスとJALがストをやっている。国鉄は明日13日にスト予定だ、という事で今日は大丈夫そうだ。

11:10記
 ・・・・・・・ つづく

2013年6月11日火曜日

パリは残すところあと2日


6月11日(火): 16日間の暮らすように旅するパリ」---第14日目

2013年6月11日・記

「パリ生活」も残すところあと2日。今日も昼過ぎまでアパルトマンでゆっくりした。

空港でストをやっているとTVで言っているように見えたので、ANAのパリ事務所に電話して聞いたところ、少し出発時刻が遅れるかもしれないが大丈夫、との事。一安心。

12時半ごろアパルトマンを出て、地下鉄で一駅のところにある大きな公園に散歩に行った。一回りしたところで、今までの疲れが出てきたのかいつもの元気が出ず、ヤムチャ屋さんに入って軽く昼食。いったんアパルトマンに帰った。

地下鉄で4駅、乗り換えてさらに2駅のところに、シャンソンを聞かせる有名な店があるというので夜出かけることにした。オ・ラパン・アジルという。ガイドブックには予約をした方が良いと書いてあった。夜9時開店と言うので8時過ぎに店に着くように出かけた。

店で9時からの席を2人予約したいのですが、と言うと「予約のひつようはない、9時に来なさい」と言う。

夕食を摂ってなかったので、降りた駅近くに戻り、カフェに入った。この店もガイドブックに載っている店で HOPE と言う英語店名の店。メニューにハンバーガーがあったりしたので、フランス最後の夜のディナーにはふさわしくないがそれを頼んだ。

料理名「ベーコンチーズバーガー」、バーガーが皿にのり、フライドポテトとサラダが添えてある。ナイフとフォークで食べるフランス式バーガーだ。何とも不思議な食べ方。いや、バーガーだけは手で持って食べて、ポテトやサラダをナイフとフォークで食べるのかな?

店で、25年この地に住む日本人女性が声をかけてくれた。オ・ラパン・アジルの事を聞くと、あの店はいつも一杯で入れたことがない。と言う。きっと今はたまたま観光シーズンオフで予約なしで入れるんだろう。  

・・・・・・・・・・・・   続く

2013年6月10日月曜日

パッサージュ、エッフェル塔、セーヌ河クルーズ

6月10日(月): 16日間の暮らすように旅するパリ」---第13日目

2013年6月10日・記

今年のパリは25年ぶりの異常気象らしい。

日本を発つ前の天気予報では、パリに着く日あたりから10日ほどずっと雨の予報だった。予報通り、5月29日に着いたときは雨模様で、寒かった。幸い3、4日後には晴れ間も見え始め1週間ほどはそこそこの良い天気が続き、気温も15℃くらいだったのが25℃近くに上がるようになった。

それが昨日からまた雨模様。

パリはあまり雨が降らないので傘をさす人が少ない、とここに住む日本の方が言っていた。でも、さすがに最近の雨の多さに傘を買う人が多くなっている、という事らしい。

街中のファッションを見ても、Tシャツの男性やノースリーブの女性がいると思うとオーバーコートにマフラーをしている人もいる、といった具合。何を着たらよいのか、迷っている様子。


 
陽がさすと暑いが、雨が降り風が吹くと途端に寒くなる。Tシャツの上に持参のダウンコートを着ることもあった。

「パリの生活」は、今日を含めてあと3日。今日の天気予報は、「雨、最高18℃、最低13℃」。もっとも、パリのTV天気予報はまったくあてにならない。ほとんどはずれだ。

今日の予定は、紅茶を買って、パッサージュ(アーケード商店街)を散歩し、トイレットペーパーを買う事。アパルトマンにはトイレットペーパーは1巻しかついていない。あと3日なので1ロールで十分なんだけど、そんな単位では売ってないだろうなあ。

12時10分アパルトマンを出た。   [ここまで、10日昼・記]

まず、有名紅茶店へ。
 

これは展示品だが、こんな天秤秤で「100g」などと量り売りしてくれる。
次はルーブル美術館のすぐ北にあるパッサージュふたつ。地図を頼りに行ってすぐ分かった。どちらも歴史のある有名なパッサージュだと案内書に書いてあり、衣類の高級店や本屋さんなどいろんな店が入っているが、人通りがほとんどない。日本の地方の商店街のようだ。景気が悪いのだろう。日本ブランドの高級ブティックもあったが、週に1着も売れるんだろうか、と心配する。

その一角にあるビストロに入って午後2時半ぐらいと言う遅めの昼食をとった。ここも有名らしくガイドブックに載っている。日本語のメニューもあった。ただ、すいていたのにメニューもってくるのに15分くらいかかるという緩慢さ。味は悪くないが、パリ価格で結構高い。
 

 

「ルッコラ添え」とメニューにはあったが料理にも、添えたカップにも一杯。

 
お腹が落ち着いたので、エッフェル塔へ。前に行ったが、下をもぐりくぐり抜けただけだった。

今日も、観光客が一杯。40分並んでやっとエレベーターに乗り込んだ。その間、2度のセキュリティチェック。パリに来たんだからやっぱりエッフェル塔には上らなくっちゃね。
 
チケット購入、入場の行列。
大きな公園、庭園がいくつも見える。豊かだなあ、とうらやましく思う。

 

帰りのエレベーターも結構行列ができていたので700段(ガイドブックによる)の階段で降りることにした。何年か前に東京タワーに登ったがその時も降りるのは階段だった。ゆっくり降りても15分ほどだった。
 

階段での出口。
上を見上げると鉄骨がレースのように見えて美しい。

 
まだ外は明るい、16時45分。タワー近くから出るセーヌ河クルーズ船に乗った。1時間20分ほど。JCBプラザでもらった割引券でひとり7.7ユーロと半額近くで乗れた。
 
セーヌ河畔で楽しむ人たち

無機質とも思える鉄骨も、細部を見ると結構美しいのにびっくり。
 
今日の予定は、残り買い物だけ。トイレットペーパー、ビール、ビスケットを買いこんで、帰宅は21時30分だった。

建築家ギマールの街をぶらぶら

6月9日(日): 16日間の暮らすように旅するパリ」---第12日目

2013年6月9日・記

「ギマール」と言ったって知る人は少ないのではないだろうか?

 
僕だって昨日まで知らなかった。このブログを書いている今も、その名前が思い出せず、妻にもう一度尋ねたぐらいだ。1867~1942 のフランス人建築家だそうだ。その人がデザインした建物が今もたくさん残っている街が16区にある。そこに行ってきた。町中をぐるぐる歩き回った。それらしいのがたくさんある。

観光に訪れる人はそう多くなく、時々それらしき人がカメラで建物を写しているので、関心を持っている人だな、とすぐ分かる。
 

ツールドフランスのレースの一団かと思われるようなのが・・・
 
2時間少々、見て回ったあと、近くのパリ市立近代美術館に向かったが、もともと入場料が無料で今日が日曜日ということもあって、たくさんの人が行列を作っていた。時折降る小雨の中並ぶのも嫌なので、あとはシャンゼリゼ通りを散策するだけにして帰宅することにした。

ルイ・ヴィトンには大変な行列。大半は中国人?

通りから見上げたマロニエの大木

シャンゼリゼ通り、遠くに凱旋門が見える。