2011.2.12(土)
留学の大先輩のシニアにセビリアの旧市街の南部分を案内していただいた。日光を浴びて少し歩くと、手袋が欲しいと思っていた先ほどとは打って変わり、快い暖かさになってきた。青い空、広い公園、観光の馬車が軽い音を立ててすれ違い、美術館や遺跡建物の中に入らずとも、落ち着いた気分になってくる。
スペイン広場 1929年にセビリアで開催された 万国博覧会「イベロ・アメリカ博覧会」の会場施設として造られたもの |
休憩しながら2時間ほど散策し、中心街に戻り、中華料理店に入った。白いクロスが掛かり、定説からすると少し高いようなレストランのはずである。12時過ぎのレストランは、現地の人には早すぎるのか客は僕たちだけだ。
メニューを見るのが難しいが、なんとか、6.5ユーロの昼の定食らしいのを見つけて、注文した。料理3品、ビンビール(330ml)1本、コーヒー付きで、これは安かった。
ホームステイ先で昼食を用意してくれるはずだったので、断りの電話を公衆電話からした。電話料もわからず、適当にコインを入れてプッシュボタンを押した。女主人が出てきたらどう言おうかとドキドキしていたら、留守録のような応答が聞こえたので、こんなスペイン語でわかるかなと思いながら、用件を入れておいた。
家に帰って、女主人にこの事を言うと、電話を聞いていなかったらしかった。
夕方、ホームステイメイトのスイス人女性が「今晩、10時ごろからこの家のアミーゴ(友人・知人)がたくさん来て、食事会をするので、一緒にどうですか?」と僕の部屋に聞きに来た。断る理由がないので「喜んで」と答えた。
7時位から、料理を用意する音といい匂いが小さな吹き抜けを通じて4階にいる僕の部屋に上ってきた。どんどん腹が空いてくる。10時30分、やっとお呼びが掛かった。
食堂に行くと僕を含めて7人。白身魚のフリットをつまみながら、ビールや微発砲のロゼワインを飲み、少し遅れてくるというアミーゴを待つ。11時10分頃になってやっと全員揃ったらしく、食事がスタート。
誰かの何かの記念日なのかわからない。女主人はブーツを履いてちょっとおめかしをしている。(翌日の女主人の説明では、参加していたアミーゴの一人が、チリに働きに行くと言うので、その歓送会をかねてのパーティだったらしい。)
女主人が僕のことを思ってくれて、全員の箸を用意してくれていた。ひとしきり、箸の持ち方で座が盛り上がった。
その後は、スペイン語のわからない僕を無視して、僕の頭上を早い大きい声でスペイン語が飛び交う。女性はここの主とホームステイメイトの2人だけ。あとは男10人の計12人。大きな声でよくしゃべる。よく笑う。2秒と静寂は続かない。僕は聞いているふりをしているだけで、完全に100パーセントわからない。
女主人とホームステイメイトのスイス人女性 |
3時間以上をかけて用意された料理は、
サラダ: キャベツ・イチゴ・パイナップル・人参・リンゴ
サラダ: サーモン・トマト・インゲン豆・コーン・卵
煮込みご飯: 野菜いろいろ入り
パエジャ2皿: 魚介・肉・野菜たっぷり入り
みんなおいしい。料理上手だ。
日付が変って直ぐの頃、ホームステイメイトの女性が自分の部屋に帰ったのを契機に、僕も客にさよならを告げて自室に帰った。このブログを書いている午前1時35分、まだ下から元気な笑い声が間断なく上に上がってくる。ワインを開ける音も聞こえてくる。いつまで続くんだろうか。
とりあえず寝ることにする。(2時くらいに食器を片付ける音がして、間もなく静かになった。)
料理がおいしいのはええな。
返信削除さすがスペイン!
夜更かしして翌日はすごい疲れそうやけど、
貴重な体験してるやんか!
言葉はなかなか難しそうやな。
まだ一週間だけやし、これからの上達が楽しみやな。
体調くずさん程度に精一杯勉強しておくれ。
観光客が行くところの付近のバールには、写真入の看板が有ったり英語が書き添えてあったりするけど、そんなところはほとんどなく、何を頼んだら良いのかちょっと大変。
返信削除学校の先生においしいのを書いてもらったけど、それを見せるとそれは無いといわれるし。
夜更かしは全くなし。
平日の予定は、
07時30分 起床
08時から15時まで ずっと学校、その後
15時から 昼食、
16時から 散歩その他
17時から トランペットの練習
19時から スペイン語勉強
22時から 夕食
23時から 雑用
24時 就寝
と言うのが目標だけど、なかなかこのようには行かない。
体調良し。ビールの量も180mlのコップ3杯が普通なので日本にいる時よりよっぽど少ない。
美味しそうなパエジャ!!
返信削除是非レシピを聞いておいてください。