2013年9月30日月曜日

今日からカディスの3週間が始まる


9月29日(日) セビージャからカディスへ移動 カディスおばさん宅に向かう

朝10時
トリアナおばさん宅を出た。「あなたのセビージャの家はここですよ、次はいつ来るの?」とお愛想を言う。「Beso (挨拶の口づけ)を!」とおばさんが言って、僕がまず右ほほを、次に左ほほを合わせ「チュ!」と音を出す、お決まりの挨拶をして戸口で分かれた。
タクシーで長距離バスが出るターミナルに行った。時刻表も前に調べておいたので問題はない。
窓口で「カディスまで片道」と言って切符を買って、出発時刻の11時まで待つ。

カディスまで13.15ユーロ(1,800円)
 
 

1:00
 48人乗りのバスは定刻に出てカディスまで約120㎞、1時間30分。順調に進む。高速バスなどでは日本ではシートベルトをするが、ここでもと思ってベルトを探すが、ない。他の座席を見てもない。そもそもベルトが設置されていない。なにか、腰のあたりが不安定な気がしながらも、無事カディスに到着。

15:30
昼食をとったり、時間つぶしをして、下宿先に約束より30分早い時刻に着いて呼び鈴を押した。「日本から来ました」。すぐわかってくれ、エレベーターで5階へ。あいさつをして、部屋に案内された。ベッドが2台あり、台湾メーカー「acer」の20型テレビまである。勉強机がないのが難点。
廊下を挟んで斜め向かいに僕専用のバスルームがある。バスタブはないがちょっといいホテルのバスルームのような感じ。

夕方
周りを散歩した。カディスは素晴らしい歴史的建造物が保存されている旧市街とその南側にある新市街に分かれている。下宿と学校は旧市街から少し新市街に入ったところで、風光明媚な砂浜が広がる海岸が100m程の所にある。

 
 
さあ、明日から新たな環境で勉強だ。どんな先生とどんなクラスメートに会えるんだろうか。

2013年9月29日日曜日

セビージャ近郊の日本村、コリア・デル・リオ Coria del Rio


9月28日(土) セビージャ 15日目 スペイン語学校は休みで終日フリー

ゆっくり起き。朝から雨が降っている。トリアナおばさんには、朝食はいつもより少し遅くしてね、と言っておいた。いつもは8時だが、今日は9時になった。

今日は、CLIC仲間から聞いていた「日本村」に行くことにしていた。

人口25,000人、その内 ○○ △△ ハポン(ハポンJapónと言うのはスペイン語で「日本」と言う意味)という姓を持つ人が800人程いるという。

スペイン人の正式な名前は、○○が名、△△が父方の姓、3番目のハポンの部分が母方の姓だ。ふつうは ○○ △△ だけを使うが、公式文書などでは ○○ △△ ×× とキチンと3つ書かないといけない。

バスは、僕の下宿先からすぐ近くから乗れる。M140またはM143。バスの便は月―金は1時間に3便、土曜日は2便、日曜日は1便と言う感じだった。

停留所で待つこと10分、来た来た、手を上げて「乗るよ」と運転手に伝える。前から乗って運転手に行先を伝える。「コリア・デル・リオ Coria del Rio」。1.65ユーロ(220円)。聞いていた通りだ。

停留所にはバスの時刻表やルートとバス停名が書いてあったが、各バス停にはバス停の名前が書いてない。どこから乗ったやら、どこに着いたのやらわからない。バスの中にも、市内循環バスのようなバス停を画面で表示するような器具はない。

セビージャから南南西に約15㎞だから、30分くらいかなと思っていたら。ピッタリ30分で着いた。どこで降りたらよいのかわからなかったので、運転手と他の乗客に「Coria del Rio、Coria del Rio」と連呼しておいたらきちんと教えてくれた。乗ってからバス停の数を数えていたが、20個目くらいだった。

コリア・デル・リオは1600年代初めに仙台藩の支倉常長の一行が初めてスペインに上陸したことで知られていて一行のうち帰国せずに現地に残った一部の子孫が ○○ △△ ハポン と名乗っているという。 ○○ ハポン △△ というのもいるのかな?  

降りたところが、町の一番のにぎやかな所に近い所だったようで、幸運にもすぐに地図の看板が見つかった。ところが、今どこにいるのかが発見できない。



付近に橋が無いようで、はしけがあった。
はしけ付近の様子。
路上で店で白エビをゆでたのを売っていた。現地の男も次々と買っているので買ってみた。結構たくさんあるので「そんなにいらないよ、半分でいい」と言って無理やり半分にしてもらった。普通は1/4kg(250g)単位で2.50ユーロ(340円)。「この海老、なんて言う名なの?」「カマロンCamarón」などと会話をちょっとしたお兄さんが、僕が日本から来たことを知って、財布から自分の身分証明書を出してきた。

エビを買った露店とハポン兄さん(青チェック)
ほら、僕の名は ○○ △△ ハポン だよと見せててくれた。

小さい町なので、ぶらぶらしてたら何かあるだろうと取敢えずそのあたりを歩いてみた。突然、日本語で書いたパネルが眼に入った。聞くと、市役所(村役場?)と言う。

 


ぶらぶらと相当歩いて疲れた。支倉常長の像が立ってるのはどこ?と何人かに聞いた。みんな知っていた。結局、最初に地図を見たすぐ近くにあることが分かった。
おなかがすいたのでバールに入ってふと見たら、地図の右上
に赤茶色の案内板で、Hasekura Tsunenaga と書いてあった。

魚の卵サラダ2ユーロ(270円) ビール1ユーロ(135円)
パンと硬いクラッカーのようなのは無料でついてくる。

ヒメジ Salmonete と言う魚のフライ 3ユーロ(410円)
 
別に、何がある、と言うわけでもなかったんだけど、ちょっとした一人遠足をゆっくりのんびりと楽しんだのだった。

以下は街の様子の写真




この写真をクリックして、支倉常長の勉強をしてください。

支倉常長 記念像

支倉常長像はこのグアダルキビール川に面した公園にある。

日本・スペイン友好400年記念年を知らせている。

オレンジは少し色づき始めている



バスの中から写したらこんなに青みかかってしまった。
南国の様相の樹




高槻市から表彰状

高槻市から感謝状が頂ける事になった。

来る10月13日(日)に高槻現代劇場で、「高槻市制施行70周年・中核市移行10周年記念セレモニー」が開催される。

その際に「市政に功労のあった個人・団体への感謝状贈呈」が行われる予定だが、先日、僕が院長を務める「たかつきおもちゃ病院」がその中の一団体に選ばれた。
 
2007年々末に発足して、その間、初代院長をはじめたくさんのドクターたちが時間と労力を割いて頑張ってきた成果だ。もちろんたくさんのおもちゃを持ってきてくださった、子供さん、お父さん、お母さんなどが見守ってきて下さったおかげでもある。
 
皆さんに感謝いたします。
 

2013年9月28日土曜日

セビージャの闘牛を見た

9月27日(金) セビージャ 14日目 2週間のスペイン語勉強が終わって闘牛見物

2週間前に日本を出るときから、今週の27(金)、28(土)、29(日)にはモロッコ行の遠足の予定が組まれていたことを知って楽しみにしていた。全交通費、全宿泊費、全食事、ガイド付きで2泊3日で195ユーロ(26,000円)。

今週初めに参加申し込みが始まったので、1番に申し込んでおいた。ところが残念なことに最低催行人数の12人に達せず、遠足は中止という事が決まった。本当に残念だ。モロッコは、学生時代にバックパックで行ったことがあるが、もう一度見てみたかった。

カディス Cadiz に行ってからでも、週末は2度あるので単独で行けるチャンスはある。しかし、ルートやホテルや行く都市などをいろいろ調べて、旅する時間の余裕はない。今回はあきらめることにしよう。

今週末の予定がなくなってしまったので、金曜日は闘牛を見る事にした。昨日のうちにチケットを買っておいた。チケットを買うのにパスポートなどの身分証明書が必要だったのだが、顔見知りのCLIC生がたまたまいて、その人が身分証明書を持っていたので代わりに買ってもらった。

料金表と買ったチケット

チケット売り場に行って料金表を見ると25ユーロ(3,400円)から135ユーロ(18,000円)まで。料金表には13ユーロなんてのもあったけど、何か条件があるみたいで理解不能。

雰囲気を見るだけでもいいので下から2番目の席を買った。36ユーロ(4,900円)。

春とか夏の料金表もあったんだけど、そこには5ユーロとか10ユーロの値段が書いてあって異常に安いのがあった。そんなのは、新人・若い人の「デビュー戦」のようなもので、人気闘牛士が出るときは結構値段が張りますよ、と誰かが教えてくれた。


闘牛場に向かう闘牛士をたまたま路上で見かけた。
18時開始。6頭の牛と闘牛士たちが格闘。20時20分終了。もちろん1頭ずつ格闘していくわけだから、一頭につき約20分のショー、と言うわけだ。
 

 
お目当ての闘牛士を待つファン
誰がどうやるか、なんて言うのはネットを調べればたくさんの方が書いておられるので省くとして、気の付いたことを少々。

会場の入りは3割か4割と言ったところ。多分観光客が多いのではないかと思う。 


会場入り口風景

僕が入ったゲート。万一の事故のための救急車がスタンバイ。
「オーレ!」の掛け声も少なく盛り上がらなかった。


牛の入場を待ち受ける闘牛士
動物虐待!何て言われて、スペイン人の間でも近年だいぶ人気が落ちてきているような感じ。日本人の鯨と同じで固有の文化と言うものがあるんだから「うるさい!」と言いたいところなんだろうけど・・・・・
正面席付近
 
 
場面の節々でコルネット(トランペットのような楽器)を演奏する2人。

1頭の「格闘」が終わるたびにみんな立ち上がるので、「何で?何か礼儀と言うか“しきたり”があるの?」、と隣の「オーレ!」と元気に掛け声を掛けてる男性に聞いたら、「いや、みんな煉瓦とコンクリート造りの固い座席にお尻が痛くなって、運動してるだけだよ」と言う答え。

座席の幅は結構狭い。昔のスペイン人なら小柄だったので良いけど、今の人は男女とも異常に肥ってる人がものすごく多いので、この狭さはホント窮屈だ。

健闘むなしく闘牛士に敗れて場外に運び出される牛。
今日は陽が指していなかったので、チケットの安い陽当たり席でラッキーと思ったんだが、広い闘牛場の向こうの方ばかりでパフォーマンスをやる。向こうの方と言うのはチケットの高い日陰席の近く、ということ。6頭もやるんだから、1頭くらいこちらの近くに来てくれればいいのに全く来ない。安い席客切り捨ての闘牛を続けてたら、観光客にまで見放されるぞ
 
陽が落ち雨が降り、暗くなった場内はナトリウム灯証明。

闘牛超初心者の僕(1回目は42年前のマドリッドで、今回は2回目)が言うのもなんだが、今日の闘牛士って実力のある人気者なの? だって4回も5回も背中に突き刺してやっと“勝利”出来るのがいるし、すっきり出来たのはほんの少し。確か素晴らしい闘牛をした人には尾っぽだったか耳だったかをプレゼントされるはずなのに誰一人いない。そんなルールはなくなったのかな?

 
最後は、観客の中から大相撲のように貸座布団を場内に投げ込む人がいた。「良くやった」と言うより僕にはブーイングの意思表示のように思えたな。
 
最後の2頭くらいから雨が大粒になった。セビージャに来て2週間、初めての雨だ。涙雨か。

2013年9月27日金曜日

セビージャの2週間が終わった


9月27日(金) セビージャ 14日目 スペイン語学校2週目 セビージャ校の最終日

セビージャでの2週間・10日間のスペイン語の勉強が終わった。

レベルは、前回2年7か月前にやったのとほとんど同じで、前回やったテキストを持ってきていたのだが、そのテキストを使った。前回すでにやった箇所も、まだやっていなかった箇所もあった。「初歩の初歩」と言うレベルだから内容・文法自体は僕にはそう難しくはない。

修了証を見ると「Principiante A1」と書いてある。
 

スペイン語のグレードは A1 A2 B1 B2 C1 C2 の6段階あり A はやさしく C になると難しい。初級、中級、上級と言うところだ。ところが、今回CLIC校のグレード表をよくよく見ると、A1がさらに2つに分かれていて、
 
A1 Principiant 入門クラスと、それを終えたら進む
A1 Elemental 初級クラスがある。
 
僕のは一番最初の入門クラスだ。な~んだ!だからゆっくりできたんだ。
2年半前の修了証を見ると、これにも同じ「Principiante A1」と書いてある。

難しいのは聞く力、話す力、語彙の力(数)だ。先生の授業は、やさしく言ってくれてはいるが普通のスピードで普通に喋る。セビージャの2週間で少しは良くなったのかな?
 

 
クラスメートから見れば僕は立派なおじいちゃん。ありがとよ!

つぎは、ここから100㎞ほど南にあるカディスCadizに場所を移して、CLICカディス校で3週間のさらなる勉強だ。

2度目のイタリカ、頼もしい日本人女性


9月26日(木) セビージャ 13日目 スペイン語学校2週目 課外遠足はイタリカ

 
「イタリア」ではない、「イタリカ」だ。

2年7か月前にもCLICの遠足で来たことがある。前のはどうだったかなと調べてみたら、2011年2月23日のこのブログに書いてあった。

その時と違って今回は広い遺跡は見る事が出来ず闘技場だけだ。ここ自体は何も変わった様子はない。
 



 

CGで街を再現したビデオを見たが、難しい言葉と早口で99%わからなかった。

見学したのは26人。その中に日本人の若い女性がいたので話をした。僕が前に見た広い遺跡も見たかったのに、と残念そうにしていた。

この二人の女性、勤めていた会社を辞めて旅行をやっているそうだ。

ひとりは南米を旅して、そのあとここセビージャにやってきて8週間のスペイン語の勉強。あと5週間残っている。

もう一人は、世界一周の飛行機チケットを買い、まずはここに来て3ヶ月のスペイン語を今週終わり、次はトルコとヨルダンへ、そしてそのあと南米一周の旅。

さらに、この火曜日に話した女性は京都外国語大学のスペイン語学科3年生。2か月のスペイン語の勉強を今週終えて帰る。
 
CLIC校に日本人の若い男性がいるのか知らない。それにしても、日本の女性も立派なものだ。男性も含め、こういう人たちが次の日本を担っていってくれるのだと思うと、ホント頼もしい。

遠足代 11ユーロ (1,500円)

欧米人の会話力には驚かされる

9月26日(木) セビージャ 13日目 スペイン語学校2週目


僕のクラスメイトは、中国人1、スイス人1、フランス人1、ドイツ人1、カナダ人1、アメリカ人2と思われる。

 
スペイン語学校CLICの中庭

 
このクラスが始まった今週の月曜日に自己紹介をしたんだが、良くわからなかった。それにしても彼らの会話力には驚かされる。

動詞の活用や、物の名前などろくに知らないし、時計の例えば「3時40分」をスペイン語で言うのすら考え込んでしまう癖に、先生が「あれしなさい」「これしなさい」なんて指示には即座に反応してる。また自分からも発言してる。

僕など、何をしたらよいかわからなくて隣に座っているクラスメイトに聞くのがしょっちゅうだ。小さい時から発言することを鍛えられている欧米の人は、コミュニケーションが上手なんだろう。
 
こんなことがあった。
夜中に道を歩いていたら後ろから突然声をかけられた。僕の名前を呼ぶ。クラスメートだ。
また、広い道路の向こう側からかすかに僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。僕を見かけたので声をかけたようだ。
そしてまた、今日は学校を出るとき、「アディオス(さようなら)」なんて知り合いに挨拶していたら、はるか遠くから大きな声でサヨナラのあいさつを僕に贈る複数の声が聞こえた。
 
僕なら、と言うか日本人なら、そんなに遠くにいる人に単なる挨拶の言葉なんか掛けないと思う。
 
それに加えて言語の類似性だ。もともと彼らの言葉は、単語の70~80%は似ているから類推しやすいという大きな利点があるので、何と言っても有利だ。
 
日本人にとっては、外国語を勉強する「素質」とか「向き不向き」と言うのがやはり存在するように思う。自分からどんどん他人の中に入っていける外向きの人、人と話をするのが好きな人、人を面白がらせたい・笑わせたいと思ってる人、なんだろうか。

僕には大きな大きな壁が存在しているのは否めない。いまのところ、外国語をやっているのが苦痛ではないから、もう少し続けてみよう。

2013年9月26日木曜日

マタラスカーニャスMatalascañas 国立公園

9月25日(水) セビージャ 12日目 スペイン語学校2週目 課外遠足はマタラスカーニャス

「マタラスカーニャスMatalascañas  国立公園」とは僕が勝手につけただけ。
 
マタラスカーニャスと言えばこれ、と言う感じの海に浮かぶ遺跡。
遠足はセビージャから南西に95kmほど、バスで1時間余り走ったところにあるマタラスカーニャス Matalascañas。と言っても、それがどんなところか全く知らなかった。35人乗りの貸し切りバスに生徒と先生・添乗員の計25人くらいで行った。

マタラスカーニャスに午後4時過ぎ着いた。小さなこぎれいな街で、海水浴シーズンにはにぎわうらしいが、町は閑散としている。

駐車場から海岸近くまで行ってそこで解散。 えっ? 何かあって案内してくれるんじゃないの?

綺麗な海岸。今はシーズンオフに入って人は少ない。

いやそうじゃないみたい。みんな好き好きに「マタラスカーニャスの夕刻を過ごそう」と言うのがテーマらしい。

帰りの時刻まで4時間少しある。取敢えずお昼ご飯を食べていないので、とバールに入った。海辺なんだから、と「Gambas a ajillo (海老のオイル煮、というのかな?)」とビールを頼んだ。この料理は前にも食べたことがあり、非常においしかったし、値段もTapa にしては少々高いのはわかっていた。メニューには10ユーロ(1,350円)とあった。

先に来たビールを飲みながら、海の街だし「どんなすごいのが来るんだろう、普通よりもちょっと高目だし」と期待して待った。

来た来た!! ・ ・ ・ ・ ・ 「?????」

これは、食べてる途中ではなくて、運ばれてきてまだ手つかずのもの。

「これはないでしょ」と突っ込みたくなる『惨劇』と言ったら良いのか『散々劇』と言ったらよいのか。情けなくなるほどの料理だった。小さな海老が15匹ほど、オリーブオイルの中で泳いでる。

前に食べたのは、小さな皿の中にもう少し大きな海老が一杯、オリーブオイルが泡立って音を立てていた。そんな光景とは大違いだ。

気を取り直し、バールを出て浜辺へ。砂は細かく、真っ白ではなく少し黄味がかっていた。海岸はゴミが少なく美しい。2、3kmあるんだろうか。靴を脱いで海に入ってみた。まだ十分泳げる水温だ。何人かは泳いでいた。水の透明度は低くせいぜい10cmとか20cmと言う程度で緑色をしている。

浜辺には人は少なく、日光浴をしているカップルなどが十組以上いた。女性何人かはブラをはずして日光浴だ。

水着を持ってこなかったし、じっと浜辺に座っているのも暑いので、街を散歩した。

小高い小さな丘のようなのがあり、遊歩道が作られていた。
 

「夏の家」になっているのか今使っている様子がうかがえない家・アパートメントがたくさんある。「売ります」とか「貸します」と書かれているのも結構ある。不況のせいなのかな?

街の中心にも行ってみた。ちょっとした広場になっている。人がいない。人が二組と猫が一匹だけ。「ここがの中心ですか?」と聞いたら「ええ、の中心です」と言うような答えが返ってきた。


街、と言うか村の中心
することもなく、見るものもなく、あとの1時間を、別のバールに入ってジュースを飲み半分居眠りをしながら過ごした。
 
ここで帰りの待ち合わせ
この地域一帯が国立公園に指定されているようだ。帰りの車窓からは、特異な形をした背の低い松の木が群生している様子が左右に広がる。

 
 

眠くなり、うとうとしている内にSevillaに着いて、今日の遠足が終わった。