2012年2月29日水曜日

健康のありがたさ、100歳までの計画

2月29日(水)
 
体がだるくて、しんどい。日本とマニラの時差は1時間なので時差ぼけによるものではない。多分気温差によるものなのだろ、旅行中は緊張していることもあり、少々の疲れも気にならなかったのかも知れない。昼間、2時間ほど横になった。

近所のご主人が亡くなり、昨夜は通夜、今日葬儀式があった。10歳年上の方で、旅行前には僕が庭で土いじりをしていると、気軽に声を掛けて頂いたりした。あっという間に彼の地の人になられた。

いつ大病に侵されるとも知れず、事故の可能性もないではない。80歳でも90歳でも元気でおられる方もあれば、僕の歳、64歳にも満たずお亡くなりになる方もおられる。

つくづく健康の有難さと、それに感謝しつつ、もう10年は海外になんの躊躇もなく出かけ、そのあとの10年は日本国内北から南をふらふら、そしてさらにそのあとの10年は近畿圏を散策、最後の5年は狭い庭で土いじり、の計35年、100歳までの予定をたてている僕です。

2012年2月28日火曜日

マニラから帰って丸2日


2月28日(火)

フィリピン留学から帰って、丸2日がたった。

昨日27日(月)、は朝から耳鼻咽喉科に行って、調子の悪い耳を診てもらった。「両耳とも外耳に炎症を起こしてますね」と言うことで治療してもらい薬を7日分頂いた。

昼からは5週間休んだスペイン語講座に出かけ、久しぶりにスペイン語を勉強。

家に帰ってからは、持って帰った衣類を全部洗濯。留学先の寮で南京虫にやられたことは書いたが、その後ボラカイに行った初日にも少しやられたので、これは僕の衣類に潜んでいたやつにやられたのかもしれないと思い、持ち帰った衣類を湯船に60℃の湯を張り注意深く洗濯した。縫い目もよく注意しながら洗ったが虫は一匹も発見できなかった。

28日(火)、今日は朝から余り調子がよくない。体がだるくしんどいので、ゆっくりする事にした。

耳は、昨夜寝る時にはだいぶ良くなっていたんだが、朝起きて見るとまた少し悪くなってる。

昨年から左ひざを少し痛めていてあぐらがかきにくい状態だったのが、フィリピンではそんな事をすっかり忘れるほど調子が良かった。フィリピンに着いてしばらくして、転んで左手の小指付け根を傷めていたのも、帰国直前にはすっかり忘れるほど良くなっていた。

ところが、寒い日本に帰ってきたとたん、ひざも小指も痛くなってきた。えらいものだ。冬になると筋肉や関節が痛くなる、と言う人の話を聞いていたが、まさにその通り。

いよいよフィリピン最後の日

2月26日(日)
 
朝起きて、昨日散歩したホテル周辺をまたゆっくり歩いた。昨日見つけたトウモロコシ売りがいてたら買ってみようと思ってたのに同じ所にはいなかった。蒸気で湯がいたのがおいしそうだったので残念。こちらの人が買っているのを見て、値段を聞いておいたのに。1本20P(36円)。大きな実が入っていて、かぶりついていた。


「写真を撮らせて」と頼んだら
わざわざエンジンを止めてポーズをとってくれた白バイ

ホテルを出るまで余り時間がないのでトウモロコシを待っているわけには行かない。街で何か一つ買おうと思ったらなにやら串刺しの揚げたのを売っていた。一つもらったら15P(27円)。「これ、なに?」と聞いたら「バナナ」と教えてくれた。揚げたあと大学イモのように、溶かした砂糖をまぶしてある。結構おいしい。



僕のフライトは15:20発予定。12時前にホテルを出ればゆっくり出来る。ホテルの受付でここから空港までタクシーで行くといくらくらい?と情報仕入れを試みたら、「普通のタクシーはやめときなさい。悪い運転手がたくさんいるから。200Pと言っておきながら降りるときになって400Pなどと言うのが一杯いるから」などという。

後で調べてみるとホテルから空港まで4-5km、普通ならタクシーでせいぜい80P(150円)程度、と言うことが分かった。

「じゃあ、どうしたらいいの?」と言うと、「ホテル手配の車が安全です。」と言う。「ホテル手配の車」と言ったのか「ホテルの車」と言ったのか定かではないけど。330P。これも高い。でも、もういい。「OK、それで空港に行こう!」。車の運転手に確かめるとその車はホテルの車で、有料送迎に使っているものらしい。運転手は完全歩合制で客の利用がなかったら給料はゼロ、と言うことだった。
  12時前に空港に着いてしまった。チェックインは1時から開始、と言うことで時間つぶし。空港内の手続きはスムーズに行った。

ターミナル3のCEBU航空のチェックインカウンター
2時前に全て終えたので、まだ出発予定時刻の3時20分まで時間が相当ある。お土産物屋さんに入ってドライマンゴーを買ったらフィリピン通貨しか受け付けてくれない。フィリピンのお金をここで洗いざらい使ってしまったら残りは硬貨1ペソだけになってしまった。コーヒーショップかファストフード店で何かを食べておかないと飛行機の中ではサンドイッチかカップめんしかないし有料なので、と思っていたのがフィリピンのお金がなくなってしまったのでコーヒーも飲めなくなってしまった。

お土産や自分のためのウイスキーを買い足そうと免税店を捜した。ところがターミナル3の手続きを全て終わってしまってからの免税店は1軒だけ。それも6つ、7つ小さな棚があるだけのまことに小さなお粗末な店。Sebu Pacific航空を利用する人はみやげ物を買う人が少ないのかなあ。
ターミナル3から帰る人は要注意。
イミグレーションが済んでからの免税店はこれだけ。
それでも、何とかドライマンゴーと自分にウイスキーだけは確保できた。

今、搭乗ゲート前でこれを書いてる。見回してみると、他の空港でよくあるような、Duty Freeと書いた袋をもってる人が非常に少ない。80人くらい椅子に座ってるが Duty Free ショップの袋を持ってる人は見た所3人くらい。これはどうしたことか?
(ここまでは、26日、出発便の搭乗を待ちながら)

CEBU航空便は大きなトラブルもなくマニラを離陸、大阪に向かった。機内ではパソコンを取り出してブログの作文をしたが、前後の間隔が狭いためキーボードがまともに打てない。自分の背もたれを後ろの方に倒して何とか打つ。

横には若い綺麗なフィリピン女性2人。前の3席が空いていて、どこからか40過ぎのおじさんが来て、面白おかしくその女性たちとタガログ語で会話している。広島や米子の話をしているようなので、英語でちょっと話しかけると、なんとそのおじさん、日本人。「お知り合いなんですか?」と聞くと「いや、さっき知り合ったとこ」と言う。タガログ語はペラペラ。韓国にも半年程いたことが有り、韓国語もペラペラになった由。

外国語上達の極意がそれで分かった。「とにかく人に話しかけること」。僕のように引っ込み思案では永久に外国語上手になれそうにない。

2012年2月25日土曜日

ボラカイを出発、フィリピン最後の夜はマニラ

2月25日(土) 基本情報 1Pペソ=約1.8円

朝9時にボラカイのホテルを出た。トライシクルの運転手と値段の交渉。といっても旅行客値段が決まっているのか、事情通の旅行客に教えてもらった100PですぐOK。これちょっと高いと思うんだけど。



15分くらい乗ったかな、カティクラン行ボート乗船場に到着。これでボラカイ島ともお別れ。

「空港、空港」と見る人ごとに言ってると自然とボートの乗船きっぷ売り場へ着いた。25Pで切符を買う。結構人がいて次々に来た船に乗っていく。

10分も待たずに乗船。




15分ほどで対岸の空港のある島に到着。


またまた「空港、空港」と言ってると、自然と空港行トライシクルに乗ることになる。ここのトライシクルは明瞭料金で切符制。50P。あっという間に空港到着。
50Pの切符

切符売り場。写真を撮ろうとしたらみんなで「ポーズ!」

カティクラン空港ビル

空港の係員が、「中国人?韓国人?」と尋ねてくるので「日本人」と答えると、「社長さん、社長さん」と人なつっこい。日本人は少ないと言う。手続きをずっと付きっ切りでやってくれ、ちょっと早く着いたので「一便早いのが乗れるからそれにしたら?」とのアドバイスまでくれた。仰せに従って12時予定を10時20分発に変更。

飛行機が小さくボンバルディアQ300と言うのか、50人くらい乗りのプロペラ機で、預け荷物は10kgまで無料。それ以上は1kgごとに150Pの追加料金。スーツケースが17.6kgだったため8kgオーバーで1200Pとられた。ハンドバッグには辞書とか各種機器の電源とか重いものを選んで詰め込んでおいたがそれでもスーツケースは8kgオーバーだ。機内荷物も5kg制限だがそちらのほうは計量しなかった。

ただ、飛行機が小さいため全体の重量も把握するのが大切なためか、ハンドバッグ・機内持ち込み手荷物を持ったまま体重を量られた。78kgくらいだった。

天候はよく、揺れもなく順調に飛行、マニラに着いた。

空港からはネットで予約していたホテルへ。空港近くのホテルなのでタクシーで行けば、と思っていたら、「タクシータクシー」の呼び声のするカウンター。「空港タクシー」だ。高いのは知っていたがこれも経験、ホテル名を教えたら料金を言った。「45」? えらい安いな、と思って100P札を出すと450Pと言う。いくら僕の英語がお粗末でもfour hundreds and fiftyをforty-fiveに聞き間違えるはずはないでしょ?「それは高いやろ、おかしいでしょ?」と何度も言ったが、「いや、協定料金で普通のタクシーは空港内に入れない。安全性第一にお客さんに安心して乗ってもらうためにこういうシステムになってる。安いタクシーに乗りたければ空港の外に行って流しのタクシーを拾いなさい」と言う。

これからフィリピンで長い日数を過ごす事になるのなら多分流しのタクシーを選んだろうけど、僕のフィリピンは今日と明日だけ。「まっ、いいか!」と異常に高い空港タクシーを利用することにした。旅行ガイドブックには他に黄色のタクシーとか何か書いてあったようだが、もうそれもいい、重い荷物を持ってうろうろするのも面倒になった。

係員が空港前の道路まで案内してくれてタクシーが来るのを待つ。来た、来た! 乗用車型の普通のタクシーと違ってちょっと大き目のレジャー用ツーボックス車のようなのが来た。ハイ、どうぞ、と乗せてくれた。車にはメーターがない。ほんとにこれ、タクシーなの?と言う感じ。

運転手は愛想がいい。お互いの家族の話をする。彼は家族の写真まで見せてくれて、「奥さん、綺麗だろ」と自慢話まで。「英語、どうして喋れるようになったの?」と聞いたところ、「高校までは英語を習ったけどそんなんじゃ喋れるようにはならない。運転の仕事をするようになって毎日英語を喋らなきゃならないんで自然と喋れるようになったよ」と言う。

15分くらいかかったかな?ちゃんとホテルまで届けてくれた。降りるときレシートをもらうのを忘れた。運転手は「チップ、チップ」と言うので「無茶苦茶高い料金を払ってるのに、何がチップや!」と言ってやったら苦笑いしてた。

ひょっとして、空港職員とドライバーが結託して空港の経理を通さずに甘い汁を吸うシステムをつくっているのかな?

着いたホテルの周辺の道路の様子

2012年2月24日金曜日

今日のフルーツ ランソニア

2月24日(金) ボラカイ 7日目
((写真は後日日本へ帰ってからUP予定))

ビーチ沿いの道路わきで、おばさんが小さなお盆のようなのに何種類かのフルーツをおいて売っていた。見たことがないのがあったので尋ねた。「ランソニ」と言うらしい。袋に入ったのが180P。結構たくさんある。3-4日は大丈夫と言うがそんなに欲しくないので、半分でいいから100Pで頂戴といって、売ってもらった。適正価格と言うのは知らないが、多分無茶苦茶高く売りつけられたんではないかと思う。

こんな道の脇で座っておばさんが売ってた

ダイビング・インストラクターのATSUKOさんに聞くと「ランソニア」と言うのが正しい名前らしい。今がシーズン。おいしいですよと言う。ネットで調べたが「ランソニア」は出てこなかった。

ピンポン球くらいの大きさで、ケソンでトライした「ロンガン」に表皮の色は似ている。厚さ1mmくらいの皮をむくとミカンのように中が分かれていて、その一つ一つに緑色の柿の種ほどの大きさの種が入っている。と言う事は、食べる部分が少ないと言うことだ。


白い半透明の果肉は甘酸っぱくておいしい。が、何しろ食べるのが結構面倒。ミカンのような袋の中には、種が入ってないのもあるが、種が入ってるのはスカッと種と果肉が分かれない。「労多くして功少なし」と言うやつだ。


リゾート、バカンス、ボラカイの1週間

2月24日(金)ボラカイの7日目

きのうのダイビングの際、カメラを持って入って撮影したんだが、どうも中に水が入って故障したらしい。それまで撮っていた写真は使えるので、ダイビングの写真は昨日アップした。今日からは持ってきた携帯のカメラ機能で撮る事にしたがマイクロSDのアダプターを持ってきてないのでパソコンに取り込めない。これ以降、きょう・明日・あさっては写真なしだ。

リゾート地の過ごし方なんて、僕には無縁の世界だったんで難しいね。土地になれるのに1週間ぐらいはかかるだろうし、特に外国では言葉と食べ物と習慣が問題。
食べ物は、写真が乗っていたりするメニューが観光地には多くなってきたと思うが、それでも量が多かったり少なかったり、思ってたのと全く違うのが出てきたり、料理と思ってたのがスープだったり・・・  

ボラカイの最後の昼はフィリピン名物料理のイカの「なんとか」と言うのを食べようと頼んだら1杯半も出てきた。しかもイカの胴体のなかには何も入ってない。ただのイカの丸焼き、と言う感じ。おいしいんだけど、しまいにあごが痛くなってきて最後まで食べるのをギブアップ。 


ボラカイのバカンスは今日で終わり、明日の土曜日に12時の飛行機でマニラに帰る。日本に帰るのは日曜日だからボラカイからマニラへの飛行機のキャンセルなどの余裕を一日見たわけだ。

こちらの飛行機は相当いい加減らしい。マニラからここボラカイに来るフライトも、前日の夕方にフライトキャンセルのため別便にしてくれとメールが入った。ダイビング・インストラクターのATSUKOさんによると、スケジュール表には書いてあるだけで、もともと運行予定のない飛行機だったかもしれないよ、だって。予約だけとって適当な後の便に強制的に変更させてしまうらしい。「それがフィリピンなんです」と言うことらしい。

今日は終日フリーだったので、2時間ほどタクシーをチャーター(トライシクル、600P=1,100円)して島巡りをしてみたら?とATSUKOさんが教えてくれたけど、やめた。バタバタしないでゆっくりしたわけだ。


ダイビングの影響で耳のおかしいのが治らない。左の方わずかに出血してるだけなんだけど、たぶん外耳辺りがはれてるんやろね。よく聞こえるんだけど、ちょっと聞こえ方が違う。

ダイビングをした初日は右耳がおかしかったんだけどそちらのほうは完調なんで、たぶん何日かで治ると思う。

三半規管か何か他の器官の影響なのかパソコンの画面を見ていると酔っ払っているような感じで何かふらふらする。インストラクターはよくあることです、と言ってたけど。

2012年2月23日木曜日

PADI オープン・ウォーター・ダイバー・ライセンスをボラカイで

2月23日(木) ボラカイ 6日目

ダイビングをするのにライセンスが必要である事すら知らなかった。シュノーケリングをしたいと思って入ったショップがダイビングの店で、運のつき?


体験ダイビングをして、そのあと「ついでにライセンスも取っときませんか?」と言われるまま、時間が有ったものだからOKしてしまった。取ったところで日本に帰って使う事はないと思うけど、まあ、経験・経験と思って、始めた。

体験ダイビング     3,000P (1P=1.8円)
ライセンス取得コース 17,000P

決して安くはない。後で日本のコースやハワイのコースを見ても同じような値段でやってる会社がある。AQUALIFE DIVERS ACADEMY は小さな家族的な店ではあるが、観光地の一等地に構えてるんでこれ位するんだろうか。「PADI」と言うのは、ライセンスを世界的な規模で管理している会社のようだ。ボラカイの長さ4kmにわたって続くこのホワイトビーチのあちこちに「PADI」の看板を掲げたダイビングショップがある。

そうすると、ここボラカイでライセンスを取る利点は宿泊代が少し安い程度か。美しいリゾート地で、という楽しさもあるし。
 
<1日目> 体験ダイビングだけのつもりでダイビングをした1日目。3時間のコース。

簡単な説明と浅瀬での実習を30分ほどやった後、すぐ船で10分ほど沖合いに行ってもぐる。ボンベかついで、ただ息をすればいいのかなと思ってたら、なんの何の。その息をするのが大変。鼻で呼吸できないから口だけで呼吸する。それが大変なのだ。



mか2m沈んだところで、耳の奥や頭がキーンと痛くなりアップアップ、すぐ浮上。今度は慎重にゆっくりと沈んでいく。耳ぬき耳ぬきの連続。正直、耳抜きの経験などない。海中で50cmも上下すれば耳がツンとして頭が痛くなる。頻繁にしないと大変な事になる。いきなり10m下まで行く。

半分死ぬ思いで何とか底にたどり着いた。珊瑚や色の綺麗なヒトデや熱帯魚のような魚がたくさんいたが、ただ「見た」と言う記憶しかない。観察してる余裕などない。経験だ!と思って始めたライセンス取りだが、経験だけの事ではちょっときつすぎる。

海の中は今は少し曇っていて余り透明度はない。プランクトンがたくさんいる季節で、そのためらしい。プランクトンがいるから魚もたくさんいる、と言うことのようだ。確かにいる。青や黄や赤や縞や・・・もちろん10mくらい向こうまでは見えるけど。

(あとで潜水記録をもらって、見てみると日によって違うが、水温27-28℃、透明度20-25m、潜水深さ11mと書いてあった。)

でも正直それを見て楽しんでる余裕はない。体がふらふらして安定しないし、ちょっと、上に行ったり下に行ったりすると、とたんに耳がツーン。

<2日目> ライセンス取得コースに入ってしまった。

とりあえず、ボラカイで何をしようという予定を入れておらずフリーだったから、営業に乗せられてやってみる事にしたライセンス取得コースだ。「簡単です」「先日、80歳くらいの人にも教えましたよ」なんていうもんだから。

日本で取ったら6万円とか7万円とかしますとも言う。値段がどうだから、と言う事は全くなかったんだけど、20,000P(36,000円)で4日くらいの講習で楽しい体験もさせてもらえるのはいいかな?と思った。

8:30 講習開始。先ずはビデオで勉強。簡単なテスト。

昼からは2回目のダイビング。半分死にそうなのは前日とおなじ、大げさに言えば、説明も予行演習も1回くらいですぐ本番。「堀内さんにはもう同じ事3回も言ったよ!」なんて何回も言われながら。

色んな課題を与えられてそれでも何とかクリア。空気タンクの空気がなくなった時にそばにいる人から空気をもらう方法やおぼれた人を引っ張る方法、などなど。

終わってから、またビデオで勉強。疲れて眠くなって寝てしまったので、明日また朝から同じビデオをもう一度学習しなくてはならない。簡単なテスト。前日渡された教科書があり、ホテルでの勉強もするよう言われた。

この日は5時ごろ終了。ホテルの明かりは暗くて文字が読めない。ラップトップ(パソコン)の画面の明るさを最大にしてそれを照明代わりにして勉強。

<3日目> ライセンス取得って結構ハードやなあ


9:30 講習開始。ビデオで勉強。午前中に浅瀬で実習。 

命にかかわる事だからこっちは必死だ。インストラクターは自分が出来るから人もすぐ出来ると思ってんのかなぁ。それとも、若い人はみんな簡単に出来てしまうんかなあ。
ショップ前の浜辺
 
午後からは前日のように船で沖合いに出かけ実習・テスト。水中や水面でジャケットを脱いだり着けたり、一定の深度で止まったり、コンパスを使ったり、空気がなくなったときの緊急対処の方法やら・・・ こんなん、一度説明されただけで出来る? 

堀内さん・・覚えが悪いなあ!とこの日も何度も言われながらなんとかこなしていく。水の中だからものが言えない。決められたジェスチャーで「ハイどうぞやって下さい」。陸の上では「水中でまず見本を見せるので、こんなジェスチャーをやったら同じ事をやって下さいね」なんて簡単に言うんだけど、それがなかなか。まず、一定の姿勢をとるのが難しい。

危ないのは、急激に上昇すること。肺に障害を起こす。そんなに深いところで実習してないから深刻な危険はないんだろうけど、それでも、今日は実習の最後、何かしら深さのコントロールが出来なくなって浮かび上がってしまった。ゆっくり浮かび上がらないといけないところ、少しスピードが速かったのか鼻血を出した。

夕方は教科書の自習やらテストやらがあって、終わったのは6時。

<4日目> ライセンス取り、もうやめた!

10:00最後の日。この日は午後から50問の最終テストがあり、今までは教科書を見ながら答えればよかったのがこのテストは何も見ないで答える、と言う。夜は暗くて勉強しづらいので、朝に勉強しておいた。

それにしても、耳の調子がよくない。最初のダイビングの後から右耳が少しおかしかったのが、今日は左もだ。潜るのは中止した方が良いのかな?

朝起きてからずーっと考えてた。いい歳なのでここで無理をしてはいけない。あと一回潜ってテストに受かればライセンスがもらえるけど、それよりも健康第一だ。よし、ライセンス取りは中止だ! そう決心してホテルを出た。5分ほど歩いたところにショップがあってインストラクターのATSUKOさんが待っていた。

「もうライセンスはいいのでテストだけ受けさせてください」。朝、テストを先ずやった。50問を45分ほどかけて回答。100点満点の92点だった。合格! 何点が合格ラインかは知らないけど。

「後で浜辺へ行きましょう」と言うので、そのあたりでバシャバシャと水遊びをするのにお付き合いしてくれるのかなと、と思っていた。ダイビングスーツをはじめ、ダイビング用の機材一式をつけて浜辺に行った。

ゆっくりと水に入り、潜っていく。だんだん深いところに行く。今日は余り深いところには行かないと言うので5mまでOKの防水カメラを持参した。ダイビングも4回目なのでちょっと落ち着き始めた。それに過去3回よりも浅いと言う安心感。魚やウニなど今までより落ち着いて見れる。


相変わらず体勢は落ち着かないから写真やビデオを取るにも一苦労だが、何とか潜っている証拠写真は取れた。

こんなに落ち着いてダイビングできるんだったら普通にダイビングの講習をお願いして、ライセンスをもらえば良かったかな、と水中で思ったりもした。




「堀内さん、今日は落ち着いててしっかり出来ましたね」なんて褒めてくれる。「4日間ありがとうございました」と礼を言うと、「夕方、また来てください。ライセンスを渡します」と言う。

目指していたのは「PADIオープン・ウォーター・ダイバー」といい、4本のダイビングで課題を全てクリアすればもらえて、監督者なしで自由に潜れる。

その下に「PADIスクーバ・ダイバー」と言うのがあって、こちらは2本のダイビングでライセンスがもらえる。ただし、潜るときは必ず監督者が必要で最大12mまで潜れる初心者コースだ。3本潜ったんだから「PADIスクーバ・ダイバー」のライセンスをくれるのかなと思った。

ところが、「堀内さん、ちゃんと4本ダイビングしましたから『PADIオープン・ウォーター・ダイバー』ですよ」だって。

なんと、自分ではもうギブアップしたつもりの「PADI オープン・ウォーター・ダイバー」のライセンスを頂きました。こんなん、次はどこで使うのかしら? ありがとうございました、ATSUKOさん。
終了の証を手にATSUKOさんと。
この写真はATSUKOさんのブログから借用。

ATSUKOさんのブログに僕の写真が・・・

ショップは AQUALIFE DIVERS ACADEMY http://www.boracayaqualife.com

2012年2月21日火曜日

体験ダイビング

2月21日(火) ボラカイ4日目

昨日、シュノーケリングをやろうと思ってある店に入ったら、ダイビングの店だった。シュノーケリングもダイビングもあんまり大きな違いはないんだろうと、「体験ダイビング」やってみましょう!と言うことになった。

実はシュノーケリングもやった事はない。それがどんなものかも、ダイビングがどんなものかも全く分かっていない。無茶な話だ。ただ唯一、その店に女性インスとラクターがいてそれが日本人だと言う事が救い。

ここからの話はちょっと落ち着いてから書きたい。
とりあえず今日は、ボラカイの夕日の写真が綺麗に取れたようなので。



夜は海老を食べた。一番大きいのは1尾1000Pペソ(1800円)すると言うので小さいのを。こちらはネギって1尾200Pペソ(360円)。それでも高いなあ。何尾する?と聞くので、「そんな高いのを2尾も3尾も食べられないよ」と言うのは言わないで一尾だけ焼いてもらった。

右下のが200P、その左の大きいのが」1000P
そしてその左の、日本でよく見るブラックタイガー海老
のようなのが3尾で200P
1Pペソ=1.8円
出てきたのはこんな感じ。見た目は大きいけど、食べるとこはスプーン一杯、くらいしかない。向こうも驚いたやろうなあ。こんなの一尾でディナーにしようってのはどこのどいつだ、ってな感じだろうね。

2012年2月19日日曜日

4週間目の小遣いと総まとめ (ボラカイへ出発するまで)

2月19日(日)記
2月13日(月) - 2月18日(土)の1週間分

総額 3,260P (1Pペソ = 1.8円) 従って 約5,870円
ペソを2倍して、それよりもやや少ないのが円の額、と言う計算になる。

主な使途は                   
マッサージ                 400P 
大学祭                    90P
  UP Tシャツ             200P
  その他                 150P
さよならパーティ              450P
フルーツ                  400P
散髪                    100P
コーヒー、ビール、菓子など       1,470P


<フィリピン英語留学4週間のまとめ:お小遣いのみ>
1週目 3,960P
2週目 2,580P
3週目 4,000P
4週目 3,260P
合計 13,800P (約25,000円)

贅沢をしなかったり、夜にダンスホールなどに行ったりして遊びほうけなかったら、この程度の費用で済む。

 

ボラカイの2日目


2月19日(日)ボラカイの2日目  基本情報 1Pペソ=1.8円

朝はゆっくり起きるつもりでいたのに7時に眼を覚ましてしまった。無理やり9時ごろまで寝て起床。このホテルの名前Tree House Beach Resortの通り、木をモチーフにした造りで、前の庭には大きな木がたくさんなある。

小鳥のさえずり、にわとりの声、波の音。リラックスできる。留学先の寮のようにトライシクルの大きな騒音は聞こえない。

ホテルがやっている小さなバー・レストランで朝食。アメリカンスタイルと言うので何が出てきたかと言うと・・・

インスタントコーヒー、オレンジジュース、トースト2枚、ベーコン、目玉焼き2個。220P(400円)。


そのあたりをゆっくり散歩。ビーチの端のほうなので人通りは少なく静か。歩を進めるにつれ中央部に近づき人が多くなってくる。




途中、フレッシュジュース屋さんがあったの、パイナップルジュースを作ってもらった。50P(90円)。


帰り道、日本語でダイビングの宣伝をしている看板を見つけ中に入ってみると、日本人の女性がいた。シューノーケリングをしたいんだけどと相談すると、いつの間にか体験ダイビングになってしまい、申し込みしてしまった。簡単だと言うので、一度やってみようか。明日の予定だ。

さらに帰り道、海水パンツを買わねばと思っていたので小さな商店に入った。余り種類はなく、半パンのようなのを欲しかったんだが、昔から日本でもよくある短いのしかなく、それを買ってしまった。300Pと言うのを250Pで(450円)買ったが高い。T-シャツが2枚で平気で180P(320円)なんてのが売ってるし、女性の上着も100Pや200Pで売ってる。子供用のワンピースなど50Pでも売ってる。

早速ホテルに帰って着替えてひと泳ぎ。海は綺麗し、砂は細かく白い。日本の海のようにがなりたてるスピーカーの騒音もないし快適。泳いでいる人はほとんどいない。


のどが渇いたのでビールを一本。「何日いるの」と聞かれたので「このホテルには3泊」と答えたら「え?そんなに短いの?」と言われてしまった。彼は1ヶ月いると言う。あと4泊を他のホテルで予定している僕は、彼の「1ヶ月」と言うのを聞いて言うのをやめてしまった。

リゾート地ボラカイ


2月18日(土)フィリピン留学27日目 基本情報 1Pペソ=1.8円

<全レッスン終了>
授業は昨日金曜日で全て終わってしまった。最終授業が先生の体調不良でなくなってしまって、たった1レッスンの事だが「知りきれトンボ」の感がぬぐえない。終了試験もないので、ずるずると終わった感じだ。

学校の最高責任者のショーンとは昨夜1時過ぎまで話しこみ色々感想を述べたが、そのことについてはまた別途書いてみたいと思う。

<ボラカイに向けて出発>
ボラカイ行の飛行機は今日10:40マニラ発で11:40カティクラン着の予定であった。ところが、昨日夕方5時半頃に航空会社からメールが入って、予定の飛行機がキャンセルになって、代わりに13:10マニラ発で14:10カリボ着になりました、という。

朝10:40の飛行機は、早朝に学校を出ないといけないのでちょっとつらいかなと思っていたので、予定時刻が遅れたのはいい。ところが到着地がカリボと言う遠いところになってしまった。ボラカイに行くのに、陸路2時間くらい余分にかかる。

朝9:10に学校を出発。一人旅ではない。ボラカイに行くのに一人では不安だと言う女性と一緒だ。彼女は週末を利用して2泊3日のボラカイツアー。

空港までは、交通渋滞を予想して2時間くらいかかるのを覚悟していたが、意外に早く到着。45分しかかからなかった。タクシーのメーターは325を表示している。運転手は平気な顔で「500Pペソ」と要求する。「ばかも~ん!」と350を渡したが、「なんとかもうちょっと色をつけてよ!」と言う運転手の態度に、「しょうがないなあ、2人乗ったし、思いスーツケースも乗せたんで、ハイ400Pペソ!」と言って400P(720円)渡した。運転手は「まあ、いいやろ」と言う感じで納得した様子だった。

<空港カウンター>
飛行機の出発時刻まで3時間以上あるがチェックインは可能だと言うことで、チェックインカウンターへ。僕は全ての荷物を持っているので重量は結構ある。スーツケース、ラップトップパソコン入りバッグ、小さなショルダーバッグ。預け荷物の制限は15kg、機内手荷物は7kgまでが無料。それを超えると1kgにつき150Pの追加料金が必要。本や電子辞書などは重いのでショルダーバッグに入れておいた。

カウンターの計量計はスーツケースが21.3kgを指している。係員は「重い荷物を取り出して制限重量以内にしますか?」と聞くが、手間をかけて取り出してもパソコン入りバッグもパンパンで、こっちのほうが重量オーバーしてしまっては同じことだ。「いい! それくらい払うよ!」と言ってオーバー分 6kg x 150P = 600P(1080円)をおとなしく払った。

実は、連れの女性の荷物は軽い。一緒に重量をカウントしてくれれば、僕の荷物の重量オーバーは大丈夫だ、との思いがあったのだったが、結果はだめ。どうして?と聞くと「同時にチケットを買って、同じクレジットカードで払ってなければ重量の合算計算は出来ない」との事。まあ、しぶしぶ納得。

つぎに、パソコン入りバッグの計量か、と思いきや、それは無し。拍子抜けでチェックイン終了。

<ボラカイの高級ホテルの責任者と知り合いに>
コーヒーを飲んで時間をつぶし、離陸予定時刻の少し前に搭乗。待てど暮らせど飛行機は離陸しない。機長から説明のアナウンスが有ったがボヤッとしていて聞き逃した。隣のフィリピン人男性に「どうなってるの?」と聞くと、ほとんどわからない。「何とかが何とかでコンシール」と言う。2、3度聞くがわからない。「コンシール」とはキャンセルのことで僕が聞き取れなかっただけらしい。

そもそも、この英語留学のきっかけは「空港のアナウンス」「機長・機内乗務員アナウンス」が聞けるようになる事、と言うことだったのだが、しょっぱなから落第だ。フィリピン人の英語もわからない。若干のショックを引きずりながら、離陸を待った。

引き続き横の男性と、「僕らはボラカイに行くんだけど」とか「英語の勉強に来てるんだ」なんていう話をしてるとどうも彼はボラカイにある高級リゾートホテルのえらいさんらしい。

予定より1時間20分遅れて3時30分離陸。

<カメラの全データが消失>
と、ここで、色んな行動の時刻を記録するための目的もあって、写真を撮っていて、到着時刻を見ようと撮りためた写真を見ていたら、なぜか全て消えているのに気付いた。メモリーからすべて消えている。思い出に残しておきたい写真もあったのに全てなくなった。残っているのはこのブログにアップした写真だけ。残念!

カメラをポケットに入れていて、何らかの拍子に、たまたま「全画像を消す」と言う操作をやってしまったのかもしれない。いくつかのボタンを順番に押さなくてはそうならないのに、「奇跡的に」やってしまったのかもしれない。これからは定期的にパソコンにコピーをすることにしよう。

<ホテル責任者が>
さて話をもどして、着陸間際、連れの女性が僕の隣の高級リゾートホテルのえらいさんに話し掛けた事から名刺交換になり、「一緒のほうに行くんだから連れて行ったげるよ!」と言う親切な誘いを受けた。後で調べると、彼の勤めるホテルはディスカバリー ショアーズ ホテル (Discovery Shores Hotel)と言い、5つ星ホテルだった。

予定通りの朝早い飛行機だと、カティクランと言うボラカイ島にすぐ近い町に着陸するはずだったのが、フライトキャンセルのため着陸地がカリボになった。そのため、カリボから陸路2時間かけてカティクランに移動しなければならない。

「陸路2時間」の予定など入ってなかった僕たちは、ありがたく好意を受けることになった。彼は部下と計6人でマニラに行っての帰りで、僕たち2人を乗せるワゴンのスペースはあるからどうぞ、と言う。ありがたく乗せてもらった。そして、程なく停車、食堂へ。

フライトが遅れて腹が減ってきたので、遅いこの時間だけど昼飯にしよう、とのこと。

街の小ぎれいな食堂だ。フィリピンの名物料理を3品とご飯、そして僕はビールも。実は僕たちも昼ごはんを食べ損ねていたので大満足。お金を払う段になって、彼は受け取らない。彼の部下の女性は「彼はボスだから大丈夫、会社の経費で払うから」と。恐縮してご馳走になった。

さて、陸路の2時間が終わってカティクランに着いた。次はボラカイ島に渡る船に乗る番だ。乗船場の様子が違う。一般人の行くところは、多分呼び込みやら物売りやらがうろうろしていてごった返してるはずなのにほとんど誰もいない。

しばらくすると2、30人も乗れると思われる立派な船が着いた。彼らのホテルの所有船だ。船体に確かに大きく彼らのホテル名が書いてある。ホテルの客の送迎専用船だ。船尾には接待用のカウンターがあり、女性がいて接待用の飲み物を作れるように出来ている。もちろん僕たちは「客」じゃないから接待は受けなかったけど。

ホテルのホームページからの写真
ものの10分ほどで対岸のボラカイ島に着いた。そこから4、5kmはあっただろうか、トライシクルと自動車でごったがえる狭い道路を20分ほどかけて着いたところが彼らのホテル。

<ホテル見学会>
立派だ。僕が「ボラカイは、3泊しかホテルの予約をしていないけど・・・」と言うと、残念ながらホテルは満室で、他のホテルを探してあげてもいいよと親切にも言ってくれる。まあ、空室があってもこんなホテルに泊まる余裕はとてもない。後でネットのホテル紹介サイトで調べると、一番安い部屋でも「ジュニアスイート、1人26,000円(定価74,000円)」。ホテル中をぐるっと案内してくれた。将来の「顧客」と言うことか。
以下も、ホテルのホームページからの写真




もっとも、一所懸命に説明してた相手は、僕ではなくて僕がエスコートしてた女性留学生のほうだったけど。「このおじさんはもう歳だから無理だろうけど、ちょっと若い日本人女性はリッチそうだし、将来お客さんになってくれる可能性はありそうだね」と言うことなのかもしれない。

上の写真も、写真映りがよいのじゃなくって、ほんとにきれい。僕など、宝くじにでも当たらなければ泊まれそうにない。

どこの国からの人が多いの?と聞くと、外国では韓国、日本、ロシアと言う。日本は東北震災の影響でがた減りになったけど、今はほとんど元に戻ってきている由。


<やっと自分のホテルに到着>
30分ほどかけてのホテル紹介が終わり、最後にホテルの女性が親切にも僕たちをそれぞれのホテルに送り届けてくれた。午後7時30分。学校を出てから10時間以上かかっててやっとたどり着いた。